津田岳宏の事務所

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2012年12月

2012年12月30日 (日)

全雀連の会長

全国麻雀業組合総連合会(通称 全雀連)という組織がある。要するに麻雀店の組合である。

そこの理事長を平成23年まで14年間にわたって務め、現在は会長である木下裕章氏の著作「麻雀屋からマージャン倶楽部へ」を読んだ。

ちなみに、氏は日本麻雀政治連盟の副会長も務めていて、私が政治連盟のシンポジウムに招かれたきには大変親切にしていただき、卓を囲ませてもらったこともある。
そのときは、木下氏と私のほか、政治連盟会長・今の全雀連理事長・小島武夫プロの5人で2抜けで麻雀したのであるが、小島プロがえんえんと濃いウイスキーを飲みながら打つのに度肝を抜かれた。
それでも結果は小島プロの1人勝ちだったのでさすがである。
小島プロというと華のある大物手が代名詞だが、実際打ってみると、守備が非常に巧みである。大きい手に打ち込まないように細心の注意を払って局を進め、チャンス手をしっかりモノにしてトップを取る、という麻雀だった。



木下氏は、一貫して麻雀のイメージアップに取り組んできた人である。
上記著作によれば、氏がはじめて全雀連の理事会に出席した昭和55年ころには、理事会の中にパンチパーマの人、サングラスの人、小指に大きな金の指輪をしている人などがいて、世間で雀荘は「麻雀屋」と呼ばれていて、若い女性が店の前を通るときに避けて通るほどいかがしい場所だと思われていたのだという。

氏は、いかがわしい「麻雀屋」を紳士の社交場である「マージャン倶楽部」へ変えるべく、平成6年に全雀連理事長に就任した後、様々な活動をした。
理事長就任直後の所信表明演説では、「月1回の理事会には必ずネクタイを締めてきてください。麻雀のイメージを麻雀店の店主から変えていきたい。万一ネクタイを締めるのを忘れた人は、その日の理事会を欠席してください」と言ったそうだ。


氏が14年間の理事長としての活動を振り返ったときの主な成果は、
①大学対抗麻雀選手権大会の主催を毎日新聞にしてもらえるようにした
②第1回世界麻雀選手権大会を10か国、120人の選手を集めて開催した
③厚労省へのアピールがみのり、ねんりんピックに麻雀が正式種目として参加できた
④麻雀店でクレジットカードを利用できるようにした
⑤インターネットで組合員の店を紹介できるようになった
などである。


私は麻雀のイメージが悪いと常日頃から嘆息しているが、氏の著作を読むと、数十年前の麻雀のイメージが今よりもはるかに悪く、それが現在はかなり改善されたということもよく理解できた。
今は少なくとも、街の雀荘を若い女性が避けて通るような光景は見られない。
それどころか、雀荘の客や従業員に、若い女性がどんどん増えてきている。
イメージアップに向けた業界の努力が状況を少しずつ改善させていることは事実であり、それが大きな花を咲かせる日も近いのかもしれない。


ただ、昭和55年ころは若い女性が街の雀荘を避けて通っていたのであり、そのときに若かった世代(現在の年配世代)は、今でも麻雀店には悪いイメージを持っている人が多いだろう。
人がいったん持ったイメージは、なかなか覆らない。
麻雀への法規制を変えるには政治が動かねばらならないが、今の日本の政治を動かしているのは、年配の世代である。若い世代は、数も少なく、投票率も低く、影響力も低い。
年配の世代が持っている麻雀のイメージをどう覆していくかが大きな課題だと個人的に思う。
木下氏も著作の最後に、麻雀界はまだまだ遅れている所があって、次の指導者が引き続き改革していかないといけないと書いていた。
イメージが劇的に変わる日、その日が待ち遠しい。

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2012年12月26日 (水)

ソープランドとフリー雀荘

私が雀荘でメンバーのアルバイトをしていたときの話。


「いや~、若いって素晴らしいね。」


石けんの匂いをさせながらホクホク顔で店に入ってきた常連客Aさんに、われわれメンバーは苦笑した。

Aさんは、前日、メンバーツー入りの卓で大勝。
「明日はソープだ。うっほっほ」
と上機嫌で帰っていった。

そして宣言通りにソープに行ってから、また麻雀を打ちに来たのだ。
「ユキちゃんのために今日も勝つぞ~」
と張り切っていたが、その日は大負けしていた。

ま、ざまあみろである。
泡姫のサービスを受けて、さらに麻雀の女神の寵愛も受けられるほど、世の中甘くないわ( ̄▽ ̄)


閑話休題


ちょっと前になるが、吉原で大手ソープランドグループが摘発された。

ソープランドとフリー雀荘の法律上の扱いは、よく似ている。

ソープランドは、風営法第2条6項の「店舗型性風俗特殊営業」のうち、同項1号の「個室浴場業」に該当する。
風営法上、一応認められている営業である。

”一応”と付けたのは、ソープでセックスがなされているのは周知の事実だが、売春防止法により売春は違法なので、ソープでセックスするのは違法だからである。

風営法上、セックス以外のマッサージ等のサービスは認められているが、セックスは違法である。
もっとも、セックスを断られるソープはない。
つまり、全てのソープは、厳密には違法営業をしているということである。


風営法の許可は得ているが、”売春””賭博”という違法とされているコンテンツを売っている。
店内でセックスや賭け麻雀がなされていることは周知の事実であり、めったに捕まることはない。
ただ、ごくまれに摘発される。
ソープとフリー雀荘は、グレーゾーン店舗の代表である。とてもよく似ている。


ソープとフリー雀荘の違いは、客が処罰されるかどうか、という点である。
雀荘が摘発されれば、客も賭博罪で処罰される。
一方、売春防止法で売春は違法とされているが、売春自体には罰則規定がない。ソープの客が逮捕や処罰をされることはない。
参考人として事情聴取はされるが、それ以上の大事にはならない。
私は司法修習生のとき、ソープが摘発された事件の記録を読んだことがある。

問(警察官) セックスしてあなたはどういう気持ちだったか。
答(参考人) それは刑事さん、天にも昇る心持ちでしたよ。

などというやり取りが調書に記載されていた。


売春自体に罰則はないが、売春防止法12条により、「売春をさせる業」は、処罰される(管理売春罪)。これにより、ソープランドの店側は処罰される。

管理売春罪が成立するには、店がソープ嬢を管理支配していることが必要となる。
裁判でこの点が争われ、ソープ側が無罪を主張した例がある。
「ソープ嬢が客をセックスするかどうかは嬢の自由なので、店が管理支配しているわけではなく、店は無罪である」
という主張がされたのである。
このとき、店側は
「売春することが雇い入れの条件にはなっていない」
「店がもらっているのは”入浴料”だけであり、売春の対価の”サービス料”は全てソープ嬢の懐に入っており、店は関知していない」
などの主張もした。

しかし、裁判所は、
①ソープ嬢は皆売春をしており、客も皆セックス目的で来店している
②出勤中のソープ嬢は無断外出が禁止されていた
③サービス料を取らないとソープ嬢の収入はほとんどなかった
④店はソープ嬢の成績を点数化してグラフに表示し、暗に売春を奨励していた
⑤店はソープ嬢に、使用済のコンドームを店内に放置することなく必ず持ち帰って処分して売春の痕跡を残すことのないように厳しく指導していた

などを根拠として、店の主張をしりぞけた(昭和53年12月7日福岡高等裁判所判例)。


「ソープは形式上自由恋愛なので捕まらない」と言っている人がたまにいるが、これは、「ピンの麻雀までは捕まらない」というのと同じく、誤解である。
警察がその気になれば、全てのソープランドは摘発されてしまう。



今回の摘発については、当該ソープランドグループが系列店を多く持つ大手であり宣伝活動も派手にしていたことが原因では、という指摘がされている(参照)

このあたりの事情も、フリー雀荘とそっくりだ。
売春防止法違反も、賭博罪と同じく、風紀に対する罪なので、「公然性」がキーワードになる。
こっそりする分には捕まる可能性は低いが、宣伝活動などにより公然性が増すと、風紀への悪影響が大きいとみなされて、検挙の可能性が増す。

店というのは営業努力しないとつぶれるものだが、ソープランドやフリー雀荘は皮肉なことに、営業努力すればするほど、検挙の可能性が増す。
捕まりたくなければ、宣伝などせずに、ひっそりと細々と営業しなさいということである(「麻雀と賭博罪」参照)。


ただ、違法である以上検挙はやむを得ないのかもしれないが、ソープランドが熱心に営業努力をして、それが社会に悪影響を及ぼすといえるだろうか。

検挙された店は、安価で良質なサービスを提供して評判になっていたのだという。
そのような店は、悪影響があるというより、むしろ性犯罪の抑制などの点で社会的にプラスになっていた面も大きいのではないか。

売春防止法は風紀に対する罪なので、本件の弁護側は、店が社会的に悪影響を及ぼしていない、というのを強くアピールしていきたいところである(この点でもフリー雀荘と同じ)。

逮捕された人たちには、できるだけ軽い処分が下ってほしいと願う。




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2012年12月14日 (金)

お客さん

私が大学生だったときの話。


当時私は,京都の某雀荘に入り浸っていた。

雀荘での成績を安定させるコツは,いつ打っても勝てる「お客さん」をたくさんつくることである。
祇園の一角に店を構えていたそのママは,私の一番の「お客さん」だった。
何せ,平気な顔でペンチャンを残しリャンメンを切る腕前である。
相性を云々するまでもなく,勝つのは簡単だった。
しかも,ママはその雀荘のオーナーとデキていたので,負け分は実質オーナー負担。負けても負けても,ママは来る。
遠慮なく勝てる最高のお客さんであった



その夜も,ママと同卓した私は,勝つ気満々だった。
実際,出足から注文通りの連続トップ。
自由自在にアガリを重ね,場を,ママを,自らが支配していると感じた。


迎えた3半チャン目,東1局の中盤,南家のママが,序盤に一鳴きしていた南を横目で見ながら,口を開いた。

「わたし,南家だよね?」

南がないとアガれない手か。不調者の鳴きなんか気にすることないよな。
起家の私は,次巡急所の牌を引き,浮いていた東に手をかけた。
どこまでも勝てそうな気がした。


「ロン」


おもむろに,ママが手を倒した。

  東東北北①①①西西西  南南南(ポン)


ん?高い・・??

南,東・・トイトイ・・ホンロー・・ホンイツ・・っていうか役満やーん!

南家とか全然関係ないやーん!


ママの発言はマナー違反の一種だが,いつも勝たしてくれる相手,今後も仲良く打っていきたいだけに,指摘はしづらい。
こちらの考えを見透かした上での口三味線だった。              

思わぬ小四喜振り込みで動揺した私の麻雀は,その後ガタガタ。押してもダメ,引いてもダメ。席を立ったときには大惨敗を喫していた。

帰り道,しょげる私に,友人が言った。

「オバハン,麻雀はドヘタやけど,三味線の使い方はプロやな。さすがは祇園のママやなぁ。」

虚実入り乱れる花街で,無数のお客さんを相手に看板を守っていたママからすれば,ケツの青い学生を口で転がすことなど造作もなかったのだろう。
その夜の私は,たったひと言で,ママの「お客さん」にされたのだ。


大人をナメてはいけない,と痛感させられたあの日から10余年。

雀荘を美化するわけではないが,少なくとも私は,学生時代に雀荘で経験した色々なことが,今の自分の仕事にも生きていると思っている。

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2012年12月10日 (月)

裁判でいちばん大事なルール

裁判は、一定のルールのもとで勝敗を決めるものであり、その点では、囲碁、将棋、麻雀などと類似する頭脳ゲームの側面がある。

実際、法曹界には囲碁将棋や麻雀を趣味とする人も多い。
少額賭け麻雀がいかに健全か、ということを主張したある裁判で、弁論終結の直後、裁判官から笑顔で「先生も麻雀がお好きなんですか?」と聞かれてびっくりしたことがある。きっとあの裁判官も麻雀ファンのはず、と私は勝手に思っている。


将棋や麻雀と同じく、裁判も、勝つためにはそのルールに精通することが大事である。

私人同士が争う民事裁判でいちばん重要なルールは、「立証責任」である。
これを知らずに裁判することは、役を覚えずに麻雀することに等しい。それくらい大事なルールである。

「立証責任」とは、「ある事実の存在を主張する人が、それを証明する証拠を出して立証しないといけない」というルールである。

たとえば、A氏がB氏に金を貸したが、契約書はつくらなかった。金は手渡ししたので、銀行の振込記録も残っていない。貸したという事実を示す証拠はいっさいない。
こういう
ケースで、A氏が「貸した」と主張し、B氏が「借りていない」と主張したとき、真実は貸したという事実があったとしても、裁判では「貸した事実はなかった」という認定がされる。

「立証責任」のもと、「貸した」という事実の存在を主張するA氏が契約書などで立証しないといけない。
しかしA氏にはそれができないので、たとえ「貸した」という事実が真実でも、裁判では「貸した事実は存在しない」という認定がされて、A氏の負けとなる。
証拠がない事実は、裁判所では認められないのだ。


何だか理不尽だと思う人もいるかもしれないが、これは仕方のないことである。
なぜなら、
A氏とB氏と違うことを言っているとき、第三者の裁判官はどちらが正しいことを言っているのかは分からない。
このとき、「立証責任」のルールがなければ、
A氏とB氏で演技力が優れている方が勝つ、あるいは、A氏が大企業役員でB氏がフリーターなら「大企業役員のA氏の方がきちんとしたイメージがある」という理由でB氏が負ける、ということになりかねない。
これは、不公平で不合理である。

こういう不公平を避けられるので、「立証責任」が採用されている。
「証拠があれば認められる。なければ認められない」というのは万人に共通なので、「立証責任」は、ある意味で公平なルールなのである。

証拠がない事実は、裁判所では認めらない。
それが真実であっても、証拠がなければ裁判では負けてしまう。


大きなお金がからむような話は、絶対に証拠をつくっておく。つくった証拠はきちんと保存しておく。
こうしておかないと、「立証責任」のもと思わぬ大損をするかもしれないので、ご注意を。

なお、今日の話のように、一般の人が知っておいておけば助かると思われる法律の話をまとめたのが、拙著「弁護士には聞きにくい 知って助かる!法律相談(青春出版社)」である。
興味ある方は、ご購入ください。
最後は宣伝になってしまって失礼しました('~`;)

2012年12月 9日 (日)

違法カジノの是非

イメージと悪循環の記事のところに、昨日大阪の違法カジノが摘発された件についての私の考えが聞きたい、というコメントをいただいたので、それを書く。

コメントでは、当該違法カジノが、暴力団とのつながりがなくイカサマもないクリーンな店だった場合どう考えるか、という質問をいただいた。

暴力団とのつながりがあったり、イカサマが横行していたりすれば、検挙されるべきなのは当然である。
が、それらがない場合はどうか。


私は、ギャンブルには、健全なギャンブルと不健全なギャンブルがあると思っている。
ギャンブルは、酒と全く同じである。
ギャンブルなんてしなくても生きていけるし、酒など飲まなくても生きていける。
しかし、それらは大人のアクセントとして重要な意味を持つ。
ごく一部の人は、不健全な飲み方をしてアルコール依存症に陥るが、ほとんどの人はそんなことにならない。みんな健全な飲み方をして、明日への活力につなげている。
ギャンブルも同じである。
ごく一部の人は過剰にのめり込みギャンブル依存症になるが、ほとんどの人は小遣いの範囲で健全に遊び、ストレスを発散させている。
ギャンブルと酒で、扱いを異にすべきという科学的根拠は何もない。
酒よりもギャンブルの方が、依存症になりやすく、社会的弊害が出やすい、という調査結果が出たことは一度もない。
少なくとも海外の調査では、ギャンブルの弊害は法律で禁止するほど大きくない、という結果が出ているのである(麻雀のイメージとギャンブルへの偏見参照)。


私が低レートフリー雀荘を捕まえるのが不当だと言っているのは、そこでおこなわれているのが健全なギャンブルであると確信しているからだ。
テンゴのフリー雀荘の依存症になって、家を失ったりを破産した、という人は聞いたことがない。そもそも、物理的にテンゴの麻雀ではそんなに負けられない。

いや最初はテンゴでも、そこからのめり込んでギャンブル依存症になる人もいるだろう、という反論があるかもしれないが、仮にそうなる危険性があったとしても、それがテンゴを処罰する理由にはならない。
それで処罰されるのならば、缶チューハイだってそこからはじまってアルコール依存症になる危険があるので規制すべき、という理屈になる。

結局、低レートフリー雀荘でおこなわれているギャンブルは、それ自体はいたって健全なギャンブルなので、処罰するのは全く不当だ。というのが、私の見解である。



では、違法カジノはどうか。

違法カジノは、仮に暴力団とのつながりやイカサマがなかったとしても、低レートフリー雀荘ほど健全なギャンブルとはいえないと私は考える。
なぜかというと、一般性の点で全く異なるからだ。
麻雀をする人は、ほとんどの人が少ない金銭を賭けて麻雀しているのであり、それはみんな知っている。
刑法学者も、この点でもって、低額の賭け麻雀を処罰するのは不当だ、と指摘している(麻雀裁判参照)。
賭け麻雀は、日本社会で非常に一般的で、健全な人たちが健全に遊んでいる場合がほとんどである。ゆえに、処罰するのは不当である。


しかし、カジノゲームは、麻雀に比べれば、全く一般的ではない。
賭け麻雀をしたことがある、という人は無数にいるだろうし、低レートフリー雀荘に行ったことがある、という人も数多くいるであろうが、違法カジノに行ったことがある、という人はほとんどいないはずだ。
低レートフリー雀荘に比べ、違法カジノは、はるかに敷居の高い場所である。
そんなところ恐ろしくてとても行けない、という人がほとんである。
それでも違法カジノに行くという人は、悪い意味で一般的でない人たちが多い。
結局、違法カジノは、反社会的な人たちが客として集まりやすくなる。


ギャンブル自体は、決して悪ではない。
カジノゲームも、それ自体は何も悪いものではなく、カジノは合法化されるべきであり、そうなれば、健全な人たちが健全なギャンブルをおこなう場になりえるだろう。


ただ、現在の違法カジノは、「ピンまでは大丈夫」という都市伝説が生まれる賭け麻雀ほど一般的ではなく、それゆえ、そこに集まる客には、反社会的な人たちが占める割合が高い。
不健全な人たちが集まる不健全なギャンブル場になっている。
とすれば、仮に暴力団とのつながりやイカサマがなくても、違法カジノが検挙されるのは仕方ない、と私は考える。
付け加えると、フリー雀荘は風営法の許可を得て営業しているが、違法カジノは許可すら取っていないので、その点でも違法性が高いといえるだろう。

2012年12月 7日 (金)

悪徳弁護士の弁護術

最近読んだ本。

まずは「反転ー闇社会の守護神と呼ばれて」

バブル紳士と呼ばれたうろんな人々の弁護を数多く手がけ、闇社会の守護神と呼ばれた元弁護士の自叙伝。
貧しい漁村で生まれ育ち、検察庁に入ってエース検事と呼ばれるまでになり、その後ヤメ検弁護士となってバブル紳士と付き合い莫大な富をつかむものの、詐欺の共犯として有罪判決を受けて現在は服役中。

そんな人生を歩んだ伝説の悪徳弁護士の自叙伝は、下手な小説よりずっとドラマチック。私の中では今年一番と言ってもいいほどのヒットだった。


著者が無罪を争っている裁判の最中に書かれたということもあって、古巣検察庁への批判は過剰で眉唾なところは否めないが、著者自身が手がけた事件の描写などは実にリアルで面白い。


目を見張ったのは著者の弁護術。

月々約1000万円の売上を脱税した被告人の弁護を担当した著者は、被告人に「1000万円のうち700万円をヤクザにお守り代として支払っていたので、他の経費もあって、私はほとんど儲けていません。しかし、そのヤクザの名前をここで出すと殺されるから出せません」と供述するよう指示したという。
こう供述されると、裁判所もそれ以上の追求はできない。名前を出すと殺される、と言っている被告人から無理やり名前を聞きだすようなことは、裁判所はしない。
結果、この被告人の罪は非常に軽くなったのだという。

もちろん、700万円のお守り代、というのは大嘘である。
明らかな嘘を供述させる上記のような弁護は、弁護士倫理に大きく反する違法弁護である。
正直、そらアンタ捕まるわwと思った。
が、当該被告人にとってみれば、著者はとてつもなく頼もしく見えただろう・・

過剰な違法弁護も、依頼者からすれば、逆に頼もしい、となるケースが多い。
それゆえ、真面目な弁護士ほど、依頼者のことを思いすぎて過剰な違法弁護をしてしまう、というのがしばしばある。それは”弁護士の落とし穴”だと業界では言われている。



さて次に、「AKB白熱論争」
先日久々にパチンコをしたのだが、「AKB」で少し勝ったので、お礼の意味もあって購入(笑)


小林よしのり氏をはじめとする大の男4人がひたすらAKBを語り合うという1冊であり、くだらないといえばくだらない。
おまけに、アイドルに特別な思い入れがない私のような一般人にはついていけない部分も多々あった。

ただ、実力ある論客たちの議論だけに、的確な分析も散りばめられていて、暇つぶしには十分なる1冊だった。

以下は、本書から。
従来のアイドルと比べたときのAKBの特徴に「総選挙」「握手会」があるが、これについての分析。
「コンテンツにお金を払うという文化自体が情報化の進行で難しくなっているということなんかじゃないかと思うんですよね。(中略)インターネットのようなものが定着して、情報が基本的に「ただ受け取る」だけのものから「自分でも発信する」ものに変化したときに、完成品を受け取ってただ消費するだけの快楽しか提供しないもので消費者にアピールするのは、少なくともそれ以前よりは難しくなる。(中略)コンテンツではなくコミュニケーションを売ること、つまりこの人を応援したい、という気持ちを表現することは気持ちがいいのでお金を払ってもやりたいと人間は考える、という発想が台頭してきた」



これを読んで私が思ったのは、やっぱり麻雀のこと。
ただ受け取るだけの消費よりも、参加して表現するものの方が楽しい。
時代がそういう発想になってきたというのなら、麻雀もチャンスである。
麻雀の楽しさというのは、まさに「参加する楽しさ」だ。
しかも、老若男女を問わずに参加して楽しめるという素晴らしさもある(ノーレート麻雀ネットワーク ニューロン参照)

そう言えば、秋本康氏は麻雀ファンのひとりだ。
氏が女流麻雀プロのユニットをプロデュースしたこともあったはず。
ここは麻雀界のためにもうひと肌脱いで、誰かAKBを女流麻雀プロにでも派遣してくれないかしらん。

2012年12月 4日 (火)

イメージの悪循環

東京都板橋区のマンションに住む主婦(32歳)が刺殺された事件で、無職22歳の男性が窃盗容疑で逮捕された。

法律上、逮捕されたというのは「疑いをかけられた」というだけの状態である。
男性も、有罪が確定するまでは無罪の推定が働くので、私も、男性を犯人扱いしてこの記事を書くわけではないことを最初に断っておく。

無罪推定の原則があるとはいえ、世間は、とくに大々的に報道がなされると、逮捕=犯人、と考えがちである。
今回、新聞報道された男性の経歴は以下のとおりであった。


福岡県出身。県内の短大を1年目の2008年に中退し東京へ。
新宿・歌舞伎町のマージャン店に約2年間勤務した後、「しばらく東京を離れる」と告げて引っ越した。
昨年12月に再び上京し、池袋駅近くのカラオケ店でアルバイトを始めた。
今年3月には東武東上線成増駅前の系列店へ異動。
その後、今のアパートに転居して仕事を続けたが、9月頃に「IT企業で正社員として雇ってもらえることになった」としてやめたという。


これを読んで私は、
こういうのを読んだ人たちはきっと、「やっぱり麻雀店で働くような人は危ない」という印象を持つのだろうな・・
と思って落ち込んだ。

読んで分かるとおり、男性は、麻雀店だけではなく、カラオケ店でもアルバイトしている。
しかし、きっと世間は、カラオケ店には着目せずに麻雀店に着目して、やっぱり・・と思うのだ。

いったんイメージが悪くなると、何か悪いことが起きたときにそれの責任とされ、ますますイメージが悪化してしまう。
クラス内で盗みをやってバレてしまったら、次に盗みが起きたとき、たとえやっていなくても、真っ先に疑われる。
イメージを回復させるには、相当な努力がいる。



麻雀の世間的なイメージがあまり良くない中で、しかも”歌舞伎町”の麻雀店で働こうというのは、普通はちょっと勇気のいることである。
そういう意味では、スターバックスの従業員よりは、歌舞伎町麻雀店の従業員はコワモテの人が多いのかもしれなない。

ただそうはいっても、多くの麻雀店従業員は、真面目な従業員である。
ごく一部の悪い人によって、真面目な従業員までもがバッシングされるのは完全なとばっちりであるが、とくに麻雀界ではこういう事が起きがちだ。


結局、イメージが悪い、ことが全ての元凶になっている。

イメージが悪い→おとなしく善良な人たちが避ける→コワモテの人たちが集まりやすくなる→その中には悪い人もいる→悪い人が悪いことをして、いっそうイメージが悪くなる


麻雀界は、長い間こういう悪循環にはまっている。ハマリは深い・・
しかし、最近は業界も抜け出すための努力をずいぶんしているのであり、いつか夜明けは来ると信じたい。

2012年12月 2日 (日)

競馬税金裁判~外れ馬券は必要経費!?~

競馬でケタ外れの大金を稼いだ男性が、それを申告しなかったとして脱税で起訴され、話題になっている。

報道によると、男性は、競馬ソフトを使って独自の必勝法を開発。2007年~2009年の3年間で約28億7000万円の馬券を購入し、約30億1000万円の払戻を受け、約1億4000万円も勝ったのだという。
悪魔に魅入られたように外れ馬券ばかり買ってしまう私としては、その必勝法に興味しんしんだが、今回男性は、脱税で起訴されてしまった。
しかも、国税局は、「当たり馬券の購入額」のみを経費と認定し、外れ馬券の購入額は経費とされなかったため、結論として、勝ち額の1億4000万円を大きく上回る5億7000万円が追徴課税された。
弁護側は、「外れ馬券も含めた購入総額が経費。一生かかっても払えない過大な課税は、違法無効だ」と主張しているのだという。


さてこの事件、宝くじの当選金が非課税であることとの均衡を考えると不公平にも思えるのだが、過去の判例にかんがみると、弁護側が勝つのは容易でない。


所得税法37条で、必要経費とは
当該総収入金額を得るため直接に要した費用の額及びその年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用」
とされている。

競馬の払戻の「直接に要した費用」とは、やはり、当たり馬券の購入額に尽きるだろう。
また、外れ馬券と当たり馬券に直接の関連性がない以上、外れ馬券の購入額を「所得を生ずべき業務について生じた費用」とも言い難い。

外れ馬券の購入額は、法律上、「損失」にあたる。
「損失」と「費用」は、これを区別するのが、判例の態度である。


むかし、ある個人事業者が、事業用の不動産を購入しようとして手付金を支払ったのだが、結局契約はご破算となり、手付金分の損失を被った。
彼は、その手付損失分を事業の必要経費として申告したのだが、国税局は認めず、裁判になった。
結果、裁判所は、

「手付金損失のごときものは、手付金返還請求権の喪失ということ以外に何らの意味をもたないのであるから、その喪失の理由がどうあろうとも、所得をもたらすための必要ないし有益な費用とはとうてい解せられない。」

と示して、彼の主張をしりぞけた(昭和42年9月14日名古屋高等裁判所判例)。

「損失」と「費用」は全然違いますよ、「損失」を所得から引いてはいけません、と断じた判例である。


ところが、これが法人だと違ってくる。

法人税法22条1項は、
「内国法人の各事業年度の所得の金額は、当該事業年度の益金の額から当該事業年度の損金の額を控除した金額とする。」

と定めている。
法人の所得は「益金ー損金」、つまり、法人については、「損金(損失)」を所得から引くことが認められているのだ。
くだんの男性も、もし、法人を設立して、法人の事業として馬券を購入し利益を得ていたら、外れ馬券の購入額を「損金」として所得から引くことが認められ、勝ち額にのみ課税する処理をしてもらえたかもしれない。



個人事業者は損失を所得から引くことができない。しかし、法人ならできる。

上記の名古屋高等裁判所の事件では、その点が不公平だと主張された。
個人と法人で、手付金損失が所得から引かれるかどうかが違うのは、あまりにも不公平だと主張されたのである。

これに対し、裁判所は以下のように判断した。少し長くなるが、「裁判所」の判断スタイルがよく現れているので、そのまま掲載する。


本件手付金損失が、控訴人のいうように法人税法上損金に算入されることは首肯できる。
しかし、個人(自然人)の事業所得は「私経済の総合主体」である個人の総合所得の一環として把握され、したがつてそれは消費生活を予定することを要しない「私経済の部分主体」である法人の所得とは概念構成の上において自ら別個な考慮が払われているのであつて、その意味において所得税法
における事業所得計算上の必要経費を法人税法における損金と必ずしも同一に定め得ないのである。
すなわち、自然人と法人との間にすでに本質的な相異がある以上、その相異にもとづき所得税法
と法人法との間において事業所得の計算上の相異が生じたとしても、それは結局立法技術及び国の租税政策に由来するものというほかはない。 




裁判所は、個人と法人の扱いに違いがあったとしても、それは「立法技術及び国の租税政策」、つまり政治の問題であって、裁判所がとやかくいうことではない、と判断した。
個人と法人で不公平だからといって、個人事業者の手付金損失を所得から引くことを認めると、それは裁判所が独自のルールをつくることになってしまう。それはダメだ。ルールをつくるのは政治の役割なので、裁判所は政治に任せます、ということである。
要するに、三権分立からの配慮である。
パチンコが3店方式で合法とみなされているのに、テンゴの賭け麻雀が違法とされるのは不公平だ、といくら主張しても裁判所が認めてくれないのと同じである(麻雀裁判参照)。


 

弁護側は、競馬の勝ちは「一時所得」ではなく先物取引やFXと同様の「雑所得」である、という主張もしているようだ。
税法上、先物取引やFXによる所得は、得した額から損した額を引いた額、とされている。
だから、競馬の所得も先物取引やFXとパラレルに考えてくれ、という主張である。

たしかに、起訴された男性の買い方は、競馬ソフトや計算式を利用したシステムに基づき多数の馬券を購入して投資効率を高める、というものであり、男性のやっていたことは証券取引に類似する。

ただ、日々変動する相場を前提にした証券取引と、個別のレースの結果を予想する競馬とでは、賭博としての本質に大きな差異がある。
競馬と証券取引をパラレルに考えてくれ、という主張もちょっと厳しいかもしれない。

以下は本筋とは少し離れた話。


この事件を題材にしたブログなどを見ると、当たり馬券の払戻にだけ課税されるなんてことになれば競馬ファンが減る、競馬を守るためにも外れ馬券を経費として認めた方がいい、という論調をよく見かける。

たしかにそれも一理あると思うが、男性のような買い方で勝つことを全肯定するのは、それはそれで問題だ。

男性のやり方の詳細は分からないが、計算式を使っているということなので、おそらくは数学理論を用いているのだろう。
数年前に競馬の勝ち160億円を脱税して話題になった香港の投資会社のやり方と類似しているのかもしれない。

ギャンブルの結果は”偶然”でないといけない。
いつも誰かが勝っていつも誰かが負ける、という”必然”の場になると、客は離れギャンブル場は崩壊する。

ギャンブルは確率論がからむので、数学を用いて必勝法をつくれる場合がある。
しかし、その必勝法は、ギャンブル場が成り立つ前提を壊すので、胴元は認めない。
たとえば、ブラックジャックの必勝法である”カウンティング”を道具を使っておこなうことは、ラスベガスでも禁止されている。
必勝法はイカサマではないが、ギャンブル成立の前提を破壊する点でイカサマと同じなので、禁止されるのである。

この先もしも、男性がしていたような、数学を利用したシステムで多数の馬券を勝って投資効率を高める、という人が大勢になれば、そういう人ばかり勝つようになり、新聞とにらめっこして一生懸命予想する一般の競馬ファンはまったく勝てなくなる。結果、競馬はギャンブル場として成立しなくなり、一般の競馬ファンは離れ、競馬自体が崩壊する、というストーリーも考えられるのである。

男性への判決はさておき、競馬というギャンブル場を守るために、たとえば「同一人の1レースあたりの購入点数を制限する」など、数学を使った必勝法への対策を考えないといけないのかもしれない。


さて、最後は念のため。


くだんの事件報道を受け、雀荘のゲーム代は必要経費になるのか?なんて疑問を持った人。
麻雀の勝ちを申告しなかったとしても、追徴課税の心配はありません。
ただし、国家権力がその気になれば、麻雀の勝ちは「犯罪組成物件」として全額没収されますw

2012年12月 1日 (土)

元手タダの商売

総選挙を控え、「政治に期待することは何か」というアンケートを取ったところ、1位は「景気・雇用対策」だったようだ。

それはそうだろう。
多くの人は、少しでいいから給料が上がってほしいと願っている。
仕事がない人は、仕事がほしいと切実に願っている。
政治家は、こういう国民の願いをかなえるのを最優先にしてほしい。

「景気・雇用対策」というと、確実な効果を見込める政策がある。
カジノの導入である。


カジノができれば、カジノ自体だけはもちろん、周辺の宿泊施設・飲食店などにも新たな雇用が発生する。
その経済効果は、劇的だ。
20世紀以降にスタートした街で100万人都市になった例は、世界中でただ1か所、ラスベガスだけ。
カジノは、何もなかった砂漠を100年足らずで巨大都市にするだけのパワーを持つ強烈なコンテンツである。
最近でも、マカオやシンガポールで、カジノは大きな経済効果をもたらした。


現在、カジノは、世界120か国以上に存在している。
これら多数の国において、国で最初に設置されたカジノが失敗した例はない。
失敗率0%である。


カジノは、大きな効果をもたらす可能性が高く、一方で、(国で最初のカジノには)失敗のリスクはほとんどない。
ローリスクハイリターンの夢のようなコンテンツである。


カジノに関していえば、日本は世界的にみて大きく遅れている。



G8諸国で、カジノがないのは日本だけである。

ギャンブルへの偏見が強い日本人は、カジノへの知識も乏しい。ラスベガスやマカオにしかカジノはないと思っている人もいるかもしれない。
イギリスはもちろん、フランスにもドイツにも、イタリアにもロシアにも、カジノはある。



2010年のサッカーワールドカップ、日本は、グループリーグでオランダ・デンマーク・カメルーンと対戦し、決勝トーナメント1回戦でパラグアイと対戦した。
日本が戦ったこの4か国も、全て、カジノを持っている国である。
カメルーンとかパラグアイとか、多くの日本人は自分たちの方が進んだ国だと思っているかもしれないが、ことカジノに関していえば、日本の方が全く遅れている。


カ  カジノは、サービス業の極致であるが、きめ細かやかなサービスは、日本人の専売特許だ。
世界のギャンブルファンの中には、ケタ外れの金持ちがいる。
彼らは、気持ち良く金を落とせる場所を求めている。
日本が、本気でカジノをつくれば、その細やかなサービスで、世界のセレブの評判を呼び、多くの外貨が獲得されるだろう。
そうなることは、目に見えている。
カジノをつくらないのは、落ちているお金を拾わないのと一緒だと私は思う。


カジノ実現を阻んでいるのは、カジノ=悪、という日本の伝統的偏見である。

「麻雀のイメージとギャンブルへの偏見」参照)

逆に言うと、この偏見さえなくなれば、カジノはすみやかに実現されるだろう。
何せ、これだけ不景気が続く世の中だ。
世界的にも、不景気がカジノ導入のきっかけになるケースが多い。
たとえば、ラスヴェガスのあるネヴァダ州で、カジノ法案ができたのは1931年。
これは、世界大恐慌が起きた1929年の2年後であった。



偏見さえ除去すれば、カジノが実現され、確実な経済効果が見込める。


どんな商売にも元手がいる。
しかし、カジノについていえば、元手は、偏見をなくし、価値観を変え、頭の中身を変えること、に尽きる。
頭の中身を変えるのは、タダである。
カジノは、元手がタダの商売といえる。


私は、失業して自己破産する、という人たちの相談を聞くことも多い。
彼や彼女らは、働きたくても、仕事がなかなか見つからない。
そんなとき、カジノができれば、この人たちも仕事が見つかる可能性が上がるのに、と思う。
雇用をつくる、というのは大事なことである。
いっこくも早く、カジノを
導入すべきである。
 
 

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