津田岳宏の事務所

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2014年7月

2014年7月27日 (日)

どうしてギャンブルが好きなのだろう

昨日のブログで取り上げた大王製紙井川元会長の著書「溶ける」の中でもっとも心に残ったのは,著者が「私はギャンブルが好きでたまらなかった」と率直に書いていたところである。

それはきっと,私自身もそうだからである。
私は決して依存症ではない(と自分では思っている)が,ギャンブルは好きだ。

あなたの趣味は何ですか?
ストレス解消法は何ですか?
何をしているときが一番楽しいですか?

これらの質問に本当に正直に答えるとしたら,「ギャンブルです」と答えるしかない。


しかしそもそも,どうして自分はギャンブルが好きなのだろう?好きになったのだろう?


もはや時効であろうし白状するが,私がはじめてギャンブルをしたのは中学生のときだ。
トランプゲームの「かぶ」を賭けてやっていた。10円玉をやり取りするような可愛らしいものだったが,それでも「賭けている」というだけで楽しかった。
その後,高校生になると賭け麻雀をするようになる。「世の中にこんなに面白いものがあるのか」と衝撃を受けた。大学に入ると完全に雀荘に入り浸るようになった。
あらためて振り返ると,私は少年時代のはじめからギャンブルを非常に面白いものだと思い,それが今までずっと続いている。
そんなふうにギャンブル好きになったことについて,外部的原因として思い当たるのは,中学受験である。

私は小学校4年生から塾に通い出した。
それまで,テストというのは点数が出るだけのものと思っていたが,塾でテストを受けると「順位」「偏差値」「合格可能性」などの,見たことのない数字がたくさん出てきた。
その数字は,受けるたびに上下する。
上がれば褒められる。
下がれば怒られる。
テストは,個々の問題に対する判断の連続である。
判断に正解すればするほど数字は上がるし,判断を誤る数が多いほど数字が下がる。
その仕組みは,ギャンブルに類似する。
ギャンブルも,判断の連続である。
判断に正解するほど収支はアップするし,誤るほど収支は下がる。


「順位」「偏差値」「合格可能性」


今思うと,塾のテストで”数字を取った”とき,小学生の私の内側前脳快感回路がそれまで受けたことがないくらいの強い刺激を受けて強い快感を得ていたような気がする。
それで私は,「判断→正解→数字ゲット」という似たような快感をインスタントに得られるギャンブルを好むようになったのではないか。

こんなことを思ったのは,井川氏も,同じような中学受験経験者だったからだ。
とくに氏の場合は,生まれたときからずっと愛媛で育っていたところ,親の仕事の都合で東京への引越しが決まったので東京の中学を受験することになり,東京の塾に通うようになった。
東京の子供たちと絡むと,自分が田舎者であることをまざまざと思い知ったという。多感な時期である。多少のコンプレックスも感じたであろう。
そんな井川少年は”テストの数字をゲットしたとき”には強い快感を覚えたはずだ。ましてや,コンプレックスを覚えている相手に対する数字であれば,それはひとしおだったろう。
そして少年は大人になっても,それと似た快感を得られる遊びにはまったのだろう。
とすれば,井川氏と私,ギャンブルが好きになった経過や原因は,もしかしたら非常に似ているのではないか・・
あまり嬉しくないこんな考えを,本を読みながらめぐらしていた。

受験は数字で評価されるゲームの1種ともいえ,それはギャンブルと共通する。
それゆえ,少年時代に受験に費やしたエネルギーとギャンブル好きになる可能性は,かなりの相関性があると私は思っている。
実際,京都の雀荘なんかだと,K大生やD大生の割合がかなり高く,それは,賭け麻雀が市民権を得ていることの証拠として私が裁判で主張したほどである。

井川氏の著書を読むと,とにかく数字へのこだわりが強い。
ビジネス哲学を語るところでも「ビジネスは数字が全て」「細かい数字にのっとって」「上下100億円をひっくり返して黒字に転換した」等の記述が多い。
井川氏には,”数字依存症”ともいえる部分があるように思える。
ギャンブルの数字はカネで,ビジネスの数字もカネである。
井川氏の失敗はギャンブルでのカネだが,世の中には,ビジネスのカネを”依存症”と言えるほどに追いすぎてしくじる人もいる。
たとえば,堀江貴文氏や村上ファンドの村上世影氏だが,実は彼らも中学受験経験者である。
ライブドア時代の掘江氏は「時価総額世界一を目指す」が口癖だった。
何かをつくる,とかではなく,「時価総額」という数字を目標にしている点に数字へのこだわりが感じられ,井川氏と共通するにおいがある(ついでに書いておくと,井川氏と堀江氏は親交のある友人同士のようだ)。


多感な少年時代に,数字での快感を強く覚えると,大人になってからも,知らず知らずのうちにその快感を求める傾向が強くなってしまうのだろう。
そして人によっては”依存症”になるほどのめり込んでしまう。
井川氏や堀江氏の罪について,日本の教育のせいである,などと陳腐なことを言うつもりはない。
しかし,今も昔も,中学受験をしている多感な少年たちは,多かれ少なかれ,大人への釈然としない思いを抱いているはずだ。

受験戦争という手垢のついた言葉があるが,これは真実をついている。
受験は戦いである。
誰かかが合格するということは,誰かかが不合格になるということだ。
誰かの成績が上がれば,誰かの成績が下がる。
自分の成績が上がって褒められているときには,きっと誰かがかわりに怒られている。

小学生はバカではない。
みんなそんなことは十分承知である。

小学生の私は,そういうのっぴきならない戦場に自分たちを送り込む一方で,さわやか何たらとかいうふざけたテーマソングのくだらないビデオを見せて「みんな仲良くしないといけません」なんて建前の道徳を言ってくる大人たちに,全くもって釈然としない気持ちだった。強烈な不信感を覚えた。
建前の道徳をこき下ろして本音で笑わしてくれるたけしやたかじんがヒーローに見えた。


ギャンブルについての今の日本の法律やその取り扱いは,全て,建前の道徳が前提とされている。
ギャンブルはなぜ悪か?と問われて,論理的に説明できる人などいない。
みんなが悪だというから悪だと思っているだけである。
競馬やパチンコが氾濫する世の中で,ギャンブルは悪だと当然のように言うことは,受験戦争の真っ只中にいる子供に「みなで手を取り合って仲良くしましょう」と説くのと同じくらい間抜けなことであり,それは口先だけの道徳である。
そんな血の通っていない道徳に,私は心底納得できないし,釈然としないし,不信である。絶対に間違っていると思う。


が,それはさておき,大人になった私が今こういう考えであることも,少年時代の経験が影響しているのかもしれないと思ったりした。
人間の人格は,30歳から先は根本的に変わることはないらしい。
空疎な建前の道徳を不愉快に思う気持ちは,一生私から消えないのだろう。

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2014年7月26日 (土)

稀代のギャンブル依存症者

やや遅ればせになるが,大王製紙元会長井川意高(以下「著者」という)の懺悔録「熔ける」を読んだ。

同書には,著者と女性芸能人との派手な交際も赤裸々に綴られていて,発売当時はそれが話題になっていたのだが,やはり私としては,著者がいかにしてカジノにのめり込んでいったかの記述に興をそそられた。

著者は,典型的なギャンブル依存症である。
本ブログでも書いたこともある「快感回路」によれば,他の依存症に比べたときのギャンブル依存症者の特徴は,ビジネスの世界で成功している精力的で革新的な人物が多い点だ。
結果にこだわり,結果のために全力を尽くし,成功のためにはリスクも取れる。
ビジネスで成功するためいのこういう要素が,悪い方向に作用してギャンブル依存症になるケースが多いのだという。

同書を読んでいると,著者はその典型である。
著者は大王製紙の3代目であるが,父である2代目は厳しい人物で,20代の著者を巨額の赤字を抱えた関連会社に放り込んだ。
著者は3年間遮二無二に働き,最終的には黒字に持っていった。
社長になってからも,大きな赤字を抱えていた部門を黒字に持っていくなど,らつ腕ぶりを発揮した。
背任で逮捕されたのち,大王製紙の社員も多数取り調べを受けたのだが,著者の仕事ぶりを批判する社員はひとりもおらず,検察官から「井川さんは仕事はできる人だったんですねえ」と皮肉を言われるほどだったという。

そんな著者の仕事についての記述を読むと”数字”へのこだわりが強く感じられる。
「浪花節で細部をごまかすことを嫌い,細かい数字にのっとって論理的かつ理詰めで考えていった」「ビジネスの世界は数字が全て」などの記述が多数出てくる。
数字にこだわり,数字で勝負したがる性格だからこそ,ギャンブルの”数字”に常軌を逸してのめり込んでいったのだろう。

興味深かかったのは,著者はギャンブルにはまった原因について「私は単純にギャンブルが好きでたまならかったのである。仕事のストレスが原因でカジノにはまったと言い訳する気は毛頭ない」と書いていることだ。
潔い記述であり,そして,私はこれが多くの依存症者の本音だと思う。

覚せい剤で捕まる人は多く,私も何回か弁護人をしたことがある。
「どうして覚せい剤なんかに手を出したのですか」と私が聞くと,彼らは多くの場合「そうですねえ・・」などと口ごもってしまう。
個々に様々な要因があるにせよ,とどのつまり,きっと彼らは覚せい剤が”好き”でやったということがほとんどなのだろう。
ましてカジノでのギャンブルは,それ自体は合法な行為である。みんな好きでやっているのであり,常軌を逸してのめり込む人もそれは同様なのだろう。

ギャンブルは楽しいものである。
これを好きになる人が多いのは当然だ。
しかし,依存症になるほど好きになってしまうと,著者のように周囲に被害を及ぼすのであり,その状況からは脱却せねばならない。
「快感回路」によれば,最近の研究から,ギャンブル依存症は,薬物依存症よりも格段に脱却しやすいものであることが分かっている。
著者は,関連会社から借り入れた多額の金は持ち株を売却して全て返済したのであるが,会社に与えた無形の損害(イメージの悪化等)が考慮されたのであろう,懲役4年の実刑判決を受けた。

同書は,文章も平明で読みやすく,著者が仕事のできる人物であることは,文章からも伝わってくる。
出所したときは,ギャンブル依存症から脱却し,その経験を依存症軽減のために役立てるような活動もしてもらいたいと私は思った。

ちなみに,著者は,小学生からずっと麻雀ファンだったという。
今でも麻雀は好きなようで,同書には「最近の麻雀はデータの統計もしっかり取られていて一発ツモの確率まで計算されている。一発ツモの確率とは,ある統計では約10%だそうだ」という記述も出てくる。
著者が最先端の麻雀本に目を通していたことがうかがわれる。

同書には,麻雀だけやっていればこんなことにならなかったのに・・という後悔の記述も出てくる。
本当にそう思う。
稀代のギャンブル依存症者の本からも,賭け麻雀が健全な遊びであることがよく分かる。

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2014年7月18日 (金)

最強の3人打ちー反射読み

この前のブログは宣伝ばかりだったので,今日はみなさんの役に立つ(かもしれない)話を書きたいと思う。

何を書くというと,3人打ち麻雀(以下「サンマ」)の戦術論である。

大学時代の僕は雀荘に入りびたりで,メンバーのアルバイトもしていたが,その麻雀は全てサンマだった。
関西では,今も昔もサンマが盛んにおこなわれている。

4人打ちよりサンマの方が腕の差が出る,という説がある。
これの真偽は定かではないが,サンマの腕を磨けば4人打ちも強くなる,というのはかなり正しいと思う。

牌の種類が少ないサンマでは,相手の手牌や山に残っている牌を,4人打ちよりも正確に読みやすい。
逆に言うと,その読みの能力がないとサンマは勝てないので,サンマをやると読みの能力が鍛えられるのである。

なお,僕がやっていたサンマのルール,4人打ちとの主な相違点は以下のとおりである。一般的な関西サンマルールと思われる(ただし大阪では5が全部赤(「オール赤」)のルールが多いかもしれない)。

・マンズの2~8は抜く
・35000点持ちの40000点返し
・完全先ヅケ
・赤ドラは5ピン5ソーが2枚ずつ
・花牌(4枚)が抜きドラ
・チートイツの4枚使いあり
・清一チートイは役満

相手の捨て牌から山に残っている牌や危険牌を読むこと,これを,「反射読み」と定義する。最近売れている「現代麻雀技術論」の著者ネマタさんがそう定義していたので,時流に乗っておく。
話がそれるが,完成度の高い麻雀研究本の著者名が,「とつげき東北」とか「ネマタ」とかわけの分からんペンネームであることを見るたび,やはり,いまだ麻雀の社会的イメージは良くないのだなーと実感してしまうw 一般社会人が堂々と本名で麻雀本が出せる時代は遠いのかw

閑話休題。

反射読みのテクニックのいくつかを紹介していこう。

反射読みの基本として,場に安い色に受けを合わす,たとえば,ソーズとピンズのメンツ選択になったとき,場に安い色の方に合わせる,ということくらいは,中級者以上なら皆やっているだろうから,ここでは,意外に知られていないと思われるものを書いていく。


(1)相手の受けに自分の受けを合わせる

 東東東1236789⑥⑦⑧⑨

ノベタン6-9にするか⑥-⑨にするかの選択である。
場を見渡すと,枚数に差はなく,相手2人もピンフ系の捨て牌で目立った特徴はない。
ならば勘勝負!
と,なる前にもう少し場を良く見るべきだ。
たとえば,上家の捨て牌がこうだとする。

 一北①西⑤2東

一見,普通のピンフ系の捨て牌であるが,注目すべきは,5巡目の⑤である。
赤が2枚あるルールで,染め手でもないのに,⑤が早く出るということは,①ー④か⑥-⑨の受けがあることが多い。
そしてこの上家は①を切っているので,⑥-⑨の受けが残っている可能性が高い。
受けが残っているということは
上家の手に⑥-⑨はない(⑦⑦⑧⑧⑨という形だとしても1枚)
=山に残ってる確率が高い
ということになる。
さらに,上家が⑥-⑨待ちで追っかけリーチをしてくる可能性もあるので,裏目かつ放銃という最悪の結果を回避する意味でも,上記の手は⑥-⑨に受けるのが正解となる。

相手の受けに残っているということは,相手の手にその牌がないことを意味するので,その分,山に残っている確率が高くなる。
また,相手がその受けで追っかけリーチをしてきたときに,放銃回避の意味もある。

早めの5切りや,間4ケンなどで,分かりやすく相手の受けが読めるときは,その受けに自分の受けを合わす,というテクニックはけっこう使える。
チートイツなどでそれが成功したときには,相手に与える精神的ダメージも大きいだろう。


(2)相手の先切り牌で危険牌を読む

上家の捨て牌

 一北①6西⑧中東

これまたピンフ系の捨て牌である。
注目すべきは,役牌の中東よりも,6を先切りしていることである。
こういうときは,上家から見て,6が危険牌だったということが多い。
有用性の高い6を切るのは,それが将来危険になりそうだから,ということが多いのだ。

たとえば

333566   23356699   22334667
のような形ならば,将来危険になるであろう6を先に切りたくなる。

そして,その局に下家からリーチがかかるとする。
このとき,3-6-9のスジは,普通の無スジよりも危険な無スジとなる。

一方が先切りしている牌は,もう一方の危険牌になることが多いのである。


(3)相手の押し方で危険牌を読む
 
 一北西②東6③3    ドラ⑥

このような捨て牌で上家がリーチをしてきた。
すると,下家がノータイムで⑧を切ってきた。
⑧は無スジでドラまたぎである。
これをどう読むか。

下家は好手のイーシャンテンかもしれない,あるいは,リーチの現物でもうテンパッているのかもしれない。
そして,もうひとつ考えるべきは,「下家から見て⑧の安全度が高いのではないか」ということだ。
具体的には,⑦の壁があるのではないか,ということである。
たとえば,⑦⑦⑦⑧という形ならば,無スジとはいえ,⑧の安全度は高く切りやすい。
そしてその場合は,上家のリーチに④-⑦は超危険牌である。

上記の上家の捨て牌と,それに対する下家のノータイム⑧押し,この2つの材料から,リーチの本線を④-⑦と読むことができるのだ。
これが,反射読みである。


上記(1)~(3)は細かい話ではある。
が,意外と実戦で使えたりもするので,お試しあれ。

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