津田岳宏の事務所

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2014年8月

2014年8月28日 (木)

これからのカジノの正義の話をしよう③

正義は個人の自由と権利を尊重すべきとする考え方(自由主義)は,契約・合意・自己決定権といったものを最重視する。

この思想に対しては,合意さえあれば何でも許されるのか,という反論がある。

2001年,ドイツのマイヴェスという男が,殺されて食べられることを希望する者を募集するインターネット広告を出した。
ブランデスという男がその広告に応募してきた。
彼はコーヒーを飲みながらマイヴェスの話をあらためて聞き,快諾した。
マイヴェスはそのままブランデスを殺し,死体を綺麗に切り分け,ビニール袋に入れて冷凍庫に保存した。
逮捕されたとき,マイヴェスはオリーブオイルとニンニクで調理したその”ご馳走”を既に20キロ近く食べていた・・

この事件,自由主義を貫徹する限り,マイヴェスを処罰することはできない。
マイヴェスの行為は,彼とブランデスの”自由意志による契約”に基づく行為である以上,ブランデスの権利を侵害しているとはいえないからである。
しかし,ドイツの裁判所は,マイヴェスに対して懲役8年6か月という重い刑を課した。

マイヴェスを無罪とすべきだ,という人はあまりいないだろう。
合意があればいかなることでも許される,と考えるわけにはいかない場面もあり,これが自由主義の欠点である。


③正義は美徳や善良な生活を促進すべきとする考え方(以下「美徳主義」という)からは,マイヴェスの行為は当然許されない。

この考え方によれば,多数人の快楽になるものであっても(功利主義),契約や合意に基づくものであっても(自由主義),悪徳であったり邪悪であったりするものは政治が認めるべきではないのである。

人を猛獣の餌にして見世物にすることや,人が人を食べる行為は,悪徳であり邪悪であるので政治的に認められない,ということになる。

そしてこの考え方のもとでは,カジノの雲行きが怪しくなる。

いかに経済効果があっても(功利主義),ギャンブルが個人の合意に基づく行為であっても(自由主義),そもそもギャンブルは悪徳である。
カジノはギャンブルという悪徳で人々の金を巻き上げる邪悪な施設である。
そのような邪悪な施設は日本にいらない。

美徳主義のもとでは,このような意見が多数を占めると考えられ,賛成派・推進派にとって大きなハードルとなるであろう。

これへの対策として,「いやいや,そんなに悪いことではないんですよ」という方向で攻めても納得させることは非常に難しい。

悪徳か美徳か,という問題には理屈ではないことが占める部分も大きい。
「生理的にダメ」と言われてしまったらいくら金を使おうが優しくしようが無駄であることと同じく,生理的にカジノが邪悪だと思っている人に信念を翻してもらおうと各種資料を持ち出してプレゼンしても,ほとんど功を奏さないであろう。

それでは,賛成派をどう論戦していけばいいか。

これは,功利主義や自由主義の立場から美徳主義に対してされる批判がヒントになる。

続きはまた今度。


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2014年8月23日 (土)

これからのカジノの正義の話をしよう②

功利主義の魅力は,簡潔明瞭性と中立性である。

一方,この思想の最大の弱みは,個人の自由と権利がないがしろにされる点だ。

②正義は個人の自由と権利を尊重すべきだとする考え方(以下「自由主義」という)は,功利主義は個人の自由と権利を容易に侵害するものであると批判する。

たとえば,古代ローマのコロセウムでは,キリスト教徒をライオンに投げ与え,庶民の娯楽としていた。

これは許されない行為ではあるが,功利主義のもとでは非難の根拠が乏しい。

犠牲になる1人のキリスト教徒が耐え難い苦痛にさらされるとしても,それによって大勢の観客が快楽を得るのだとしたら,社会全体としては快楽が苦痛を上回るとも考えられる。
しかし,このような考えで残虐なショーを肯定するのが許されるはずはなく,これが功利主義の弱点である。


自由主義によれば,コロセウムのショーはキリスト教徒の自由と権利を激しく侵害するものなので,当然許されないことになる。

たとえ多数人の快楽になるものであっても,個人の自由と権利を侵害することは許されない,とする考えである。


自由主義が重視するのは,合意に基づく契約だ。

ショーが許されないのは,キリスト教徒がライオンに与えられることについて全く同意していないからである。
逆にいうと,腕自慢の格闘家が自ら猛獣と戦うことを望むのであれば,ショーは許されることになる。

自由主義は,契約を基礎とする自由な市場を支持し,政府による規制を非難する。
規制は,個人の自由や権利を制約するものだからだ。

自由主義は,いわゆる道徳的法律を非難する。
たとえば売春は,合意に基づく契約がある限り,法律で規制すべきではない。
国家が個人に道徳を強制すべきではないとする考え方である。


このような自由主義も,カジノとの相性は良い。

カジノでのギャンブルは,合意に基づいてなされるものである。
そうである以上,国家により規制されるべきではない。

カジノの最大のデメリットはギャンブル依存症の増加であるが,依存症者はギャンブルを強制されているわけではない。彼らはみずからの意思でギャンブルをしている(ギャンブル依存症は治療を要する病気の一種であるが,病気になる第一歩について,彼らは自分の意思で踏み出している)。
とすれば,ライオンに投げられるキリスト教徒と同列には考えられない。

自由を至高とする考え方によっても,カジノは是とする方向に傾きやすいのである。

なお,自由主義に対する代表的な反論は,以下のようなものだ。

すなわち,自由のみを強調すぎると,金持ちはどんどん金持ちになり貧乏人はどんどん貧乏人なる。格差と不平等が無限に拡大する。

このような考えから,正義を自由な契約と結びつける考え方のなかにも,所得の公平な分配やアファーマティブアクション(社会的弱者を対象とする是正措置。たとえば,入学試験でマイノリティの優先枠を設けること)など,平等の推進を積極的に考慮していく考え方もある。

もっとも,カジノについていえば,平等を重視する考え方からも是となりやすい。

カジノは,大量の雇用を創出する。
一方,カジノで金を落とすのは,基本的に金持ちである。
カジノには,所得の再分配という側面も強いのである。


以上のとおり,正義とは自由と権利を尊重すべきとする考え方からも,カジノは是とする方向にいきやすい。

一方,③正義は美徳や善良な生活を促進すべきとする考え方からは,カジノは否定されることが多いだろう。

続きは,また今度。


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2014年8月17日 (日)

これからのカジノの正義の話をしよう①

「これからの『正義』の話をしよう いまを生き延びるための哲学」(以下「正義の話」という)という本を読んだ。
政治哲学について書かれた本である。

この秋に予定されている臨時国会では,いよいよカジノ法案が成立する見込みなのだという。
が,次の国会でいよいよ・・・という話はここ数年ずっとされてきた話なのであり,すんなり成立するかどうかは非常に疑問である。
少なくとも,激しい反対論が出ることは間違いない。

カジノの是非が論じられるときは,とかく,感情的な議論がされがちだ。

「けしからん」「言語道断だ」「いや違う,あなた達のは偏見だ」

しかし,こういう感情的な議論ではなく,メリットデメリットを踏まえた冷静な議論がされるべきである。

カジノ法案をどうするかは,政治の話である。
「正義の話」では全編にわたって,政治で実現される正義はどうあるべきか,ということが書かれている。
今回は,「正義の話」の内容を媒介として,あらためてカジノの是非を考えたいと思う。


「正義の話」では,政治で実現されるべき正義について,3つの代表的な考え方を紹介している。

①正義は,最大多数の最大幸福を実現すべきである
②正義は,個人の自由と権利を尊重すべきである
③正義は,美徳や善良な生活を促進すべきである


上記3つは基本的に対立していて,それぞれがそれぞれを批判し合う関係になっている(具体的にどういう批判になっているかは,また後で)。

まずは,①に基づき,カジノの是非を考えてみる。
①の考え方は,功利主義と呼ばれている。

正義の至高の原理は幸福,すなわち,苦痛に対する快楽の割合を最大化することであるとする考え方である。
誰もが快楽を好み,苦痛を嫌う。
正しい政治とは,共同体全体の快楽を最大化させ,苦痛を最小化させ,もって,最大多数の最大幸福を実現することである。
よって,ある政策の是非が問題となるとき,実行によって得られる利益と失われるコストを比較し,前者が後者を上回るときはこれを実行すべきである。

このような功利主義の考え方に基づけば,カジノを是とする考え方に傾きやすい。

カジノが大きな経済効果を生むことは明白である。
20世紀以降にスタートした街で100万人都市になったのは,世界でただ1か所,ラスベガスのみである。
近年でも,カジノを解禁したシンガポールは大きな経済効果を上げた。
現在,世界で120か国以上にカジノは存在するが,その国でひとつめのカジノが失敗した例は皆無である。
日本でカジノをつくれば,少なくとも経済的な成功は約束されているといえる。この点について「やってみないと分からない」という反対派の意見は弱い。

カジノにより生み出されるコストについては,犯罪が増加して社会的コストが増える,という意見がある。
しかしこの点は,今までに,カジノ導入により犯罪が増加したという事実が証明されたことはない。むしろ,統計上のデータからは減っているようにすら見えるのである。
アメリカでは,1990年代後半,約4億円という多額の予算を組み,2年間にわたってカジノの影響が調査されたが,報告書の結論は「カジノを原因とする犯罪は増えていない」であった。
犯罪増加によるコストがかかる,という意見に説得力はない。

カジノ導入によるコストとして明白に認められるのは,ギャンブル依存症の増加である。
この点については,海外の調査でも実証されている。
私見では,パチンコ屋が氾濫している現代日本において,カジノが建設されたからといってギャンブル依存症が大きく増えるはずはないと考えるが,それでも,多少の増加はあるであろう。
それに伴う医療費等のコストも必然的に生じるであろう。

とはいえ,功利主義の考えに従えば,カジノで得られる利益とギャンブル依存症増加によるコストを比較すれば,前者が明らかに大きいのであるから,カジノは実現せねばならない,という結論になる。


功利主義の魅力は,その明瞭さと中立さである。
利益とコストを比較して結論を出すという考え方は,非常に簡潔明瞭であり,曖昧さがない。
また,この考え方の大きな魅力はその中立性である。

功利主義では,全ての快楽は「単なる快楽」であり,全ての苦痛は「単なる苦痛」である。
そこでは,「快楽の質」というものは考慮されない。
モーツアルトは上質だとかシェイクスピアは高尚だとかいう概念はない。
同量の快感を与えている限り,モーツアルトとももクロは同等で,シェイクスピアと近代麻雀は同等である,という考え方である。
国家権力は,快感の量以外の曖昧な基準を政治に持ち込んではならない,上質だとか高尚だとかいう曖昧な議論に対しては中立であるべきだ,という考えに結びつくのであり,これが大きな魅力となっている。

この考え方では,美術館で過ごす1日と雀荘で過ごす1日は,全くの同価値である。
カジノ反対派が,口に出す出さないはともかく,心の中では必ず思っている「ギャンブル場などという下品なものはつくりたくない」という考え方は,功利主義のもとでは否定される。

功利主義は,カジノ賛成派には大きな力となる哲学である。
しかしもちろん,この思想も完璧ではない。
上記②や③の考え方から激しく批判される部分もある。
それがそのまま,カジノ反対派の論拠となり得るものもある。

そこまで書くと長くなってしまうので,続きはまた今度。

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2014年8月16日 (土)

ホームページと頼れる顧問

私が立ち上げた京都グリーン法律事務所のホームページが完成した。

よろしければ,ご覧になってくださいm(__)m

うちの事務所であるが,顧問として,京都府警に40年間勤務した経歴を持つ阿部道則行政書士をむかえている。

阿部さんは,40年間の警察官キャリアのほとんどを捜査4課(暴力団対策課)で過ごした。

ひと昔前のヤクザは,賭博を生業にすることも多かった。
それゆえ,阿部さんも多数の賭博事件を捜査し,その道に非常に詳しい。
いや,詳しいとかそういうレベルではない。
阿部さんは,平成18年には,多数の暴力団抗争事件を解決したことと共に,賭博犯罪に関する豊富な知識を生かして捜査方法を伝授するなど後進を指導したことを理由として,京都新聞警察功労賞を受賞している。
今現在賭博捜査をしている警察官たちを,阿部さんは指導していたのである。

警察は,いかなるときに,いかなる手段で,いかなる賭博を捜査するのか。

阿部さんから聞く話は,私にとっても非常に勉強になっている。


私は麻雀が好きである。
今の麻雀業界は,昔とは違う。
暴力団とつながりのないクリーンな店が麻雀業界を支えている。
しかし現実問題として,麻雀と賭けは,切っても切り離せない。
高額のギャンブルがされているパチンコ店が氾濫している現代日本で,クリーンな雀荘が捕まるなど全く不当だと強く思うが,賭博罪という法律が存在するのは事実で,麻雀業界は弱い立場に置かれている。
私は弁護士として,そんな麻雀業界の力になりたいと思っている。

賭博捜査のエキスパートである阿部さんは,私や事務所にとって大きな力になってくれる人だ。
私も,いっそうの研鑽をせねばと思っている。
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