津田岳宏の事務所

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2014年8月17日 (日)

これからのカジノの正義の話をしよう①

「これからの『正義』の話をしよう いまを生き延びるための哲学」(以下「正義の話」という)という本を読んだ。
政治哲学について書かれた本である。

この秋に予定されている臨時国会では,いよいよカジノ法案が成立する見込みなのだという。
が,次の国会でいよいよ・・・という話はここ数年ずっとされてきた話なのであり,すんなり成立するかどうかは非常に疑問である。
少なくとも,激しい反対論が出ることは間違いない。

カジノの是非が論じられるときは,とかく,感情的な議論がされがちだ。

「けしからん」「言語道断だ」「いや違う,あなた達のは偏見だ」

しかし,こういう感情的な議論ではなく,メリットデメリットを踏まえた冷静な議論がされるべきである。

カジノ法案をどうするかは,政治の話である。
「正義の話」では全編にわたって,政治で実現される正義はどうあるべきか,ということが書かれている。
今回は,「正義の話」の内容を媒介として,あらためてカジノの是非を考えたいと思う。


「正義の話」では,政治で実現されるべき正義について,3つの代表的な考え方を紹介している。

①正義は,最大多数の最大幸福を実現すべきである
②正義は,個人の自由と権利を尊重すべきである
③正義は,美徳や善良な生活を促進すべきである


上記3つは基本的に対立していて,それぞれがそれぞれを批判し合う関係になっている(具体的にどういう批判になっているかは,また後で)。

まずは,①に基づき,カジノの是非を考えてみる。
①の考え方は,功利主義と呼ばれている。

正義の至高の原理は幸福,すなわち,苦痛に対する快楽の割合を最大化することであるとする考え方である。
誰もが快楽を好み,苦痛を嫌う。
正しい政治とは,共同体全体の快楽を最大化させ,苦痛を最小化させ,もって,最大多数の最大幸福を実現することである。
よって,ある政策の是非が問題となるとき,実行によって得られる利益と失われるコストを比較し,前者が後者を上回るときはこれを実行すべきである。

このような功利主義の考え方に基づけば,カジノを是とする考え方に傾きやすい。

カジノが大きな経済効果を生むことは明白である。
20世紀以降にスタートした街で100万人都市になったのは,世界でただ1か所,ラスベガスのみである。
近年でも,カジノを解禁したシンガポールは大きな経済効果を上げた。
現在,世界で120か国以上にカジノは存在するが,その国でひとつめのカジノが失敗した例は皆無である。
日本でカジノをつくれば,少なくとも経済的な成功は約束されているといえる。この点について「やってみないと分からない」という反対派の意見は弱い。

カジノにより生み出されるコストについては,犯罪が増加して社会的コストが増える,という意見がある。
しかしこの点は,今までに,カジノ導入により犯罪が増加したという事実が証明されたことはない。むしろ,統計上のデータからは減っているようにすら見えるのである。
アメリカでは,1990年代後半,約4億円という多額の予算を組み,2年間にわたってカジノの影響が調査されたが,報告書の結論は「カジノを原因とする犯罪は増えていない」であった。
犯罪増加によるコストがかかる,という意見に説得力はない。

カジノ導入によるコストとして明白に認められるのは,ギャンブル依存症の増加である。
この点については,海外の調査でも実証されている。
私見では,パチンコ屋が氾濫している現代日本において,カジノが建設されたからといってギャンブル依存症が大きく増えるはずはないと考えるが,それでも,多少の増加はあるであろう。
それに伴う医療費等のコストも必然的に生じるであろう。

とはいえ,功利主義の考えに従えば,カジノで得られる利益とギャンブル依存症増加によるコストを比較すれば,前者が明らかに大きいのであるから,カジノは実現せねばならない,という結論になる。


功利主義の魅力は,その明瞭さと中立さである。
利益とコストを比較して結論を出すという考え方は,非常に簡潔明瞭であり,曖昧さがない。
また,この考え方の大きな魅力はその中立性である。

功利主義では,全ての快楽は「単なる快楽」であり,全ての苦痛は「単なる苦痛」である。
そこでは,「快楽の質」というものは考慮されない。
モーツアルトは上質だとかシェイクスピアは高尚だとかいう概念はない。
同量の快感を与えている限り,モーツアルトとももクロは同等で,シェイクスピアと近代麻雀は同等である,という考え方である。
国家権力は,快感の量以外の曖昧な基準を政治に持ち込んではならない,上質だとか高尚だとかいう曖昧な議論に対しては中立であるべきだ,という考えに結びつくのであり,これが大きな魅力となっている。

この考え方では,美術館で過ごす1日と雀荘で過ごす1日は,全くの同価値である。
カジノ反対派が,口に出す出さないはともかく,心の中では必ず思っている「ギャンブル場などという下品なものはつくりたくない」という考え方は,功利主義のもとでは否定される。

功利主義は,カジノ賛成派には大きな力となる哲学である。
しかしもちろん,この思想も完璧ではない。
上記②や③の考え方から激しく批判される部分もある。
それがそのまま,カジノ反対派の論拠となり得るものもある。

そこまで書くと長くなってしまうので,続きはまた今度。

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コメント

疑わしきは罰せずという刑法の原則を廃すれば
冤罪で死刑になる人が10人や20人増えるかもしれませんが
全体として、罪を逃れる犯罪者や犯罪そのものが減り「最大多数
の最大幸福」という素朴な功利主義は達成されるでしょう。

痴漢冤罪で多くの人の人生が破壊されても、痴漢が減るメリットの
方が大きならば、功利主義的には正義です。
しかし現代の日本はそのような価値観を許容していないと思います。

私個人は、賭博を原則として禁止し例外について認める形式の刑法
を改正し、原則合法・健全な社会風俗を乱すものを禁止と改めるべき
だと思っています。しかし、単純素朴な功利主義に基づきカジノ解禁を
目指すならば、それには反対です。

ギャンブル依存症などの問題を、単純な線形加算的リスク・ベネフィット
比較で論じるのはあまりに乱暴であり、社会一般の支持・理解を得がた
くするだけだと思います。

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