津田岳宏の事務所

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2014年9月

2014年9月29日 (月)

パチンコはどうなの? 

ギャンブルに詳しい弁護士として雑誌やテレビ等から質問をされるとき,必ず聞かれるのは「パチンコはどうなんですか」ということである。
この間のNHK番組のディレクターからも聞かれた。

パチンコはどうなの?という問いには,以下の3つの問いが含まれている。

①パチンコは賭博にあたるの?
②パチンコは賭博罪にあたるの?
③パチンコで捕まる可能性はあるの?


まず①の点について,パチンコは明白に賭博である。
法律上の賭博の定義は「偶然の事実に対して財物を賭けること」である。
パチンコの結果が偶然であることは言うまでもない。
パチンコは,偶然の結果に対して財産的価値のある賞品(財物)が提供されるので,賭博にあたる。

②の点は,非常に難しい。
競馬や競輪は,賭博にはあたるが特別法で認められている。
パチンコも賭博にはあたるが,風営法によって賞品を提供することは認められている。
よって,賞品を提供している限りでは,賭博罪にはあたらない。
しかしここで問題なのは,パチンコをしている人は全員が出玉を特殊景品に交換した上で換金しているのであって,実質的には現金が提供されているのと同一であるという点だ。
裁判所というと四角四面で融通が利かないというイメージを持っている人もいるかもしれないが,実はけっこう実質的な判断をすることも多い。
パチンコ店で,実質的に現金が提供されていることは明白である。現金が提供されているのならば,賭博罪である。
仮にパチンコ店が賭博罪で起訴されたならば有罪になる可能性は高い。なので「まだ判例はありませんが,もし裁判になればパチンコは賭博罪にあたるという結論になるでしょう」と回答している。

もっとも,実はこの点は三権分立が絡んだ複雑な問題も含んでいる。
三権分立のもと,有罪か無罪かを判断するのは司法機関の裁判所で,取締や逮捕をするのは行政機関の検察・警察である。
しかし,賭博というのは,そもそも風紀に対する罪であり,それについての判断は司法機関よりも行政機関になじむものである。
それゆえ,司法機関の裁判所は,行政機関の検察・警察の判断を重視する。
もっとストレートに言うと,裁判所は「検察や警察が風紀の観点から処罰したいというのなら,それを認めましょう」という判断をするということだ。
だからパチンコも,もしも検察が本気で起訴をしたら,裁判所は有罪の結論を下すであろうと考えられるのだ。


③の点は,結論として捕まる可能性はゼロである。
取締権限を有する警察は,パチンコ店はあくまでも賞品を提供しているに過ぎないので賭博罪にはあたらず,風営法の規制を遵守している以上は捕まえなくてもいい,という方針を取っている。

この点については,パチンコ業界と警察が癒着しているからだと批判する向きもあるが,そもそも現代日本では,賭博罪にあたる行為をしても,捕まらないことがほとんどだ。
たとえば,セット麻雀やゴルフでは,ほとんどの場合現金が賭けられていて,それらは明白に賭博罪にあたる行為だが,捕まることはない。
風紀罪である賭博罪は,公然性がない場合は違法性が低く,処罰の必要性も低い。
身内で金を賭けて麻雀をしたりゴルフをする分には,公然性が低いので,処罰の必要性はないと考えられる。
だから,警察は捕まえないのである。

パチンコ店は,その賭博性を非公然にする,という点は徹底している。
パチンコ店の経営者と交換所の経営者は別々である。
交換所はパチンコ店のすぐそばにあるが,その場所をパチンコ店の店員に聞いても教えてくれない。
いわゆる交換率についても,店員は絶対に教えてくれない。
パチンコ店はあくまでも賞品を提供しているだけ,それを”たまたま”そばにある古物商が買い取ってくれている,という建前を徹底的に構築している。

麻雀店の講習会で僕が必ず言うのが「賭博罪については建前が大事です。賭博をしていないという建前を徹底してくだい。看板にレートを出すなどしたら捕まりますよ」ということだ。
賭博をしているということは,公にしては絶対にならない。
賭博が罪なのでなく,それが公になるのが罪なのだ。
最近話題の「昼顔」で,吉瀬美智子が「不倫が罪なんじゃなくて,バレるのが罪なの」なんて言っていたが,それに近いものがある。自宅の寝室でするのは勘弁してほしいということだ。

話がずれてしまったが,パチンコ店はその賭博性を非公然とする努力はおこなっている(これは麻雀店も学ぶべきである)。
パチンコの存在を知らない人はいない。
しかし,パチンコの換金行為の詳細は,知らない人もけっこう多い。
僕も,パチンコをしない人から「パチンコって景品が出るだけじゃないの?2万円勝ったってどういうこと?」と聞かれることがある。
結局,パチンコが現金賭博であるシステムは,知っている人には常識だが知らない人は知らないというもので,そこに非公然性が保たれているので,セット麻雀やニギリゴルフと同様,捕まらないのである。


以上のように,パチンコは捕まる可能性がゼロの業界ではあるが,三店方式が実質的に現金の提供である以上,グレー業界のひとつであることは間違いない。
そこで生じてくる問題については,また機会があれば書きたいと思う。


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2014年9月23日 (火)

NHKがギャンブルを

27日の土曜日からNHKBSで「関口宏の”そもそも”」という番組がはじまるのだが,その1回目のテーマは「ギャンブル」である。

土曜の21時~23時というゴールデンタイムに,BSとはいえNHKでギャンブルをテーマに2時間番組をするというのだから,僕としては嬉しい出来事だ。

しかもこのブログを読んだというディレクターから連絡があって,賭博罪や風営法について色々とアドバイスをさせていただくことになった。

大変感謝していただき,僕も嬉しかった。
ただ残念ながら,ナマ壇蜜に会いたいのでノーギャラでいいからスタジオに出させてください,という希望は断られてしまった('~`;)

壇蜜以外のゲストは,桂ざこば・蛭子能収・倉田真由美という”嫌いじゃない”人たちで揃えている。
蛭子さんはアノ話をきっとしてくれるんじゃないかと期待する。
そういえばアノ話は,警察は抑止効果を上げるために本当は大物作家ISを狙っていたんだけれど,その日ISが街に出てこなかったので,格は落ちるがしゃーねーか,ってことで蛭子さんを捕まえたっていう話を聞いたことがあるのだが,本当なのだろうか。

まあそれはさておき,ゴールデンタイムにギャンブルがテーマの番組がされることなどなかなかないので,このブログの読者のような人は,見た方が良いと思う。
僕も楽しみにしている。


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2014年9月18日 (木)

これからのカジノの正義の話をしよう⑤

正義への3つの考え方とその長所・短所・カジノへのベクトルをまとめると次のようになる。


 

政治が実現すべき正義

長所

短所

カジノへのベクトル

功利主義

最大多数の最大幸福

簡潔明瞭
中立的で差別がない

個人の自由と権利がないがしろにされる場合あり

是となりやすい

自由主義

個人の自由と権利

功利主義の欠点を補完しつつ,明瞭性と中立性も確保

格差と不平等が拡大

合意さえあれば何でも許されるのか

是となりやすい

美徳主義

美徳や善良な生活

個々のケースに柔軟に対応できる

曖昧
価値観の強制につながる

非となりやすい



最大多数の最大幸福や個人の自由と権利を重視すると,カジノは是となりやすい。
海外諸国での先例からカジノが雇用と税収の大きな増加を生むことは明白である(功利主義)。
また,カジノで遊ぶ自由もそれを経営する自由も個人の権利のひとつである(自由主義)。

一方,美徳や善良な生活を重視すると,非となりやすい。
カジノ(ギャンブル)を悪徳であると考えている人は多いだろう。

反対派が最近上梓した「カジノ狂騒曲ー日本に賭博場はいらない」という本の中にも

「カジノは最悪の賭博場であり,人間の弱みにつけこんで,胴元が巨額の利益をあげる『略奪のビジネス』です」
「カジノなどという,まがまがしい賭博を許さないという国民の良識がさらに高まれば,このたくらみを打ち破る可能性は十分あります」
「そもそも『虚業』でしかない博打に収入を頼ろうとすること自体(中略)人倫にもとる道だといわなければなりません」
といった,ギャンブル=悪徳論の記述がこれでもかというくらい出てくる。

このような美徳主義に基づく考えに賛同する人は多いかもしれないが,実はこれには大きな弱点がある。

ひと言でいうと,それは”古い考え方”なのだ。

古代社会や封建社会の政治は,美徳主義に基づきおこなわれていた。
何が善良で何が高尚かという価値観が前提となり,その価値観を実現するための政治がされていた。

たとえば,悪法として名高い江戸時代の「生類あわれみの令」

これも,動物虐待は悪徳であるという価値観だけを強調してつくられ(美徳主義),社会的コストの計算(功利主義)や刑罰の妥当性(自由主義)を何ら考慮していない法律なので,今では悪法とよばれているのである。

近代になると,美徳主義の曖昧さや権威的なところへの批判が高まり,論理的でシャープな新しい思想として功利主義や自由主義が登場し,今ではこちらの方が優勢だ。
まあ乱暴に麻雀に例えるなら,曖昧なオカルト打法が衰退してデジタル打法が主流になった,ということである。

美徳主義は,古い思想なのである。

カジノは悪徳なのでつくるべきではないという意見に対しては,悪徳か美徳かという曖昧な議論で政治的判断をすべきでない,という現代的思考による反論が効果的だろう。
とくに,カジノには大きな経済効果がある。
ある試算だと,70万人の雇用が見込まれるのだという。
それは,今現在失業していていたり低収入で苦しんでいる人にとっては大きな希望となるだろう。
とすれば,カジノは悪徳なのでやらないという判断は,美徳についての多数派の価値観によって弱者の仕事を奪うことにつながるのだ。
この理屈も,反論としては効果的だろう。


現代の美徳主義者は,ともすれば,女=結婚という古い価値観で凝り固まったセクハラ議員のようなことになる。
これはオカルト打法のようなもので,現代人の感覚では古くて受け入れがたい側面も強い。

賢明な反対派は,このことも認識しているようだ。
カジノ=悪徳論だけでは限界があることを分かっているようである。

なので,前述の「カジノ狂騒曲」の中にも,カジノをしたとしても成功するかどうか保障はない,ギャンブル依存症による社会的コストは大きい,など功利主義の議論での反対意見も強く書いている。

賛成派は,この議論では絶対に負けてはならない。
カジノがつくられた世界120か国以上で,その国で最初につくられたカジノが失敗した例はひとつもない。
依存症による社会的コストは,海外の調査により結果が出ている。それはカジノの経済効果を上回るものではない。

功利主義の土俵で賛成派が負けることはないし,負けてはならない。
そして,勝つにしても一分の隙なく完璧に勝つことが必要だろう。

結論としては,

①美徳主義の土俵では,その前提がそもそも古い考えであることを指摘して防御
②功利主義や自由主義の土俵では徹底的に攻めて勝つ

という議論の進め方が,賛成派にとって一番いいだろう。

配牌が悪い局は上手に守り,配牌が良い局は隙なく徹底的に攻めるべしということである。




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2014年9月 1日 (月)

これからのカジノの正義の話をしよう④

カジノに反対する人は,こういう意見が多い。

この人によれば,カジノに反対する理由は「博打というのがどうも好きになれないから」であり,「カジノで外国人から金を巻き上げようとするのはおもてなしの心とは真逆」なのだという。

まさに美徳主義に基づく意見であるが,このブログの読者であれば,このような意見に違和感を持つ人も多いだろう。
その違和感は,そのまま美徳主義に対する批判となる。

「好きになれない」というのは,その人の好みの問題である。
「巻き上げる」というのもたぶんに主観に基づく表現であり,高級車やブランドバッグを買う大金は巻き上げられたものではなく,カジノで使う金は巻き上げられたものだ,というのは「ギャンブル=悪徳」という価値観が前提になっている。

好みや価値観は,人それぞれである。
特定の価値観を他人に押し付けるのは望ましくない。とくに,多数派が少数派を強制するのはよくない。
それゆえ,現代の法と政治の基本的スタンスは,国家権力は国民に特定の価値観をj強制すべきではないとしている。

しかし,正義は美徳や善良な生活を促進すべき(美徳主義)とすれば,「美徳」「善良」の具体的な中身を国家が決定し,それを国民に強制することになる。

功利主義や自由主義は,この点を激しく批判する。

功利主義は,快楽を与えるものである以上モーツアルトもAKBも”政治の上では”同等である,とする考え方である。
その根底には,何が上質で何が高尚だ,という話には少なくとも国家権力が立ち入るべきではないという思想がある。
この厳格な中立性が,功利主義の大きな魅力である。

自由主義のキモは,「個人の自由な意思決定」である。
これは言い換えると,「強制をされない権利」である。
美徳や善良という曖昧な概念について,少数派が多数派から”権力的に”強制されるのは許されないとする考え方であり,これが自由主義の魅力のひとつである。

「美徳」「善良」の具体的中身について,全員が一致することなどあり得ない。
にもかかわらず、これを政治に反映させようとすれば,それは必然的に多数派の価値観を少数派に”権力的に”押し付けることになる。
これが美徳主義の弱点である。

たしかに日本では「ギャンブル=悪徳」という価値観が根強く,これが多数派かもしれない。
しかし私のように,ギャンブルは大人のレジャーのひとつで別に悪徳ではない,という価値観を持っている人も相当数いる。
そういう少数派の私たちは,白眼視されるのがやむを得ないとしても,少なくとも多数派の価値観を権力的に押し付けられるいわれはないのである。
功利主義によれば国家権力は価値観については中立であるべきとされるし,自由主義によれば少数派に価値観を強制するのは許されないとされるのである。

ギャンブルは悪徳だ,というのを全面に押し出してくる意見に対して,いや別に悪徳ではない,と反論しても水かけ論の無駄な議論になってしまう。
そういう意見には
①美徳か悪徳かという曖昧な基準を政治に持ち込むべきではない(功利主義)
②美徳か悪徳かという問題で,多数派が少数派を権力的に抑圧してはならない(自由主義)と反論していくのが効果的である。


このシリーズ,だいぶ長くなってしまっていて辟易している方もおられるかもしれないが,次回にもう1回まとめを書くのをお許しいただきたいm(__)m

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