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2014年12月27日 (土)

賭博と権力

「日本権力構造の謎 上・下」を読了。

タイトル通り,日本の政治システムや権力行使のされ方を分析した本である。

ひと昔前のバブル最盛期に書かれた本で,著者はオランダ人だ。
「アジア人である日本人ごときが経済的に成功しているのは,エリートが無知な国民を支配しているからだ。欧米の国民ならばこんな支配は許さない」といったニュアンスの,欧米優越主義と思われるような記述には気分の悪くなるところがあったが,基本的には鋭い分析がされている好著だった。

なかでもうなずかされたのは,日本での権力行使は法律に従ってされているわけではない,という指摘だ。

全ての権力行使は法律に従わなければならない。権力は法律により拘束を受ける。

これが「法の支配」と呼ばれる近代民主主義法治国家の基本原則である。
その趣旨は,行政による恣意的な権力行使を,立法や司法により抑制する点にある。

日本でも形式的には「法の支配」が採られているが,日本の法律は,形がい化していたり内容が曖昧なものが多い。
結果,行政の裁量権が非常に広くなり,行政の力が強くなる。

行政というのは,省庁や警察のことだ。
日本の国民は,法律よりも,省庁や警察の顔色を気にしている。彼らに目をつけられないよう,独創的なチャレンジや活発な議論はしないよう萎縮している。
日本の権力行使は「法の支配」とはいえず,その実質は「官僚による支配」である。

上記のような著者の指摘は,本が書かれた30年前はもちろん,今の日本にも当てはまる。
形がい化していたり曖昧だったりする法律は,いまだにたくさんある。
その代表が賭博罪である。

賭博をすると犯罪なのだという。

犯罪ならば,摘発されねばならない。

ところが,誰の目にも明らかな賭博であるパチンコはいっさいの摘発を受けない。

麻雀は,ほとんどの人が金を賭けてやっている。企業のお偉いさんも学校の先生も,政治家も役人も,みんな金を賭けて麻雀をしている。
彼らも「ほぼ」100%摘発を受けない。

パチンコと麻雀が異なるのは,麻雀はごくまれにフリー雀荘が摘発を受ける,という点だ。

それは滅多にないことだが,摘発される方からすれば,晴天のへきれき以外のなにものでもない。
パチンコは捕まらないし,賭け麻雀もみんなしている。
なぜ自分だけが捕まるのか?
その理由が告げられることはない。

「賭博は犯罪です。捕まって当然です」

そう告げられるだけだ。

パチンコが捕まらないのに麻雀だけ捕まるのはおかしいじゃないか。
この主張はもっともだと思われるのだが,裁判所からも「それとこれとは別問題です」とバッサリ切られる。

しかし,それで本当にいいのか?
それは裁判所が,恣意的な行政権の行使を許すということになるのではないか?

今この瞬間も日本中で多数なされている賭博について,それが摘発される基準は法律には記載されておらず,行政(警察)の全面的な裁量に委ねられている。
日本での賭博への権力行使は,「法の支配」ではなく「行政の支配」である。


賭博罪なんて撤廃すべきだ,と言うと何をバカなことを,という人も多いのだが,この問題は,「行政のスリム化」とか「脱官僚」とか「実効ある法律」とか,長年の政治的課題とされている問題と密接にかかわっているのである。


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日本国民は省庁や警察の顔色など伺ってなどいない。省庁や警察が上司の顔色を伺っているから、司法が機能しないのだ

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