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« 某ライターとのエニシバナシ | トップページ | データで見るグリーン杯1日目 »

2015年6月28日 (日)

運ゲーだという主張への反論、代理人弁護士として

僕の最終的な目標は、麻雀の法律的地位の向上である。
もっと直接的に言うと、多少の賭け麻雀は”100%”捕まらないという法律的状況をつくることだ。

そのために、巷間よくいわれる「麻雀は運ゲー」という主張には、僕は徹底的に反論する。
偶然に左右されやすい、というイメージになると、それだけで法律上の扱いは悪くなる。
偶然の要素が多くて面白い=賭博の道具になりやすい=取締の必要性が高い、法律はこう考える。
「偶然性」は賭博罪の成立要件でもあり、賭博罪の成否が問題になる判例では、当該競技の偶然性について必ず言及される。

偶然性が主要ではない競技である、というアピールが必要不可欠なのである。
ビリヤードも、風営法から外されたときには、「ビリヤードは物理法則に基づいて結果が決まるきわめて科学的な競技である」というアピールを、業界が一致団結しておこなった。
麻雀業界も、この点は見習う必要がある。

政治家や官僚など「権力を司るエリートたち」は、論理性・科学性、などが大好きだ。その理由のひとつは、彼らの多くが東大卒で、論理性や科学性がモノを言う世界の勝者たちだから、それにシンパシーを感じる、という部分もあるように思う。

麻雀にロマンを求めるのは、悪いことではない。いや、というか、それは麻雀の大きな魅力のひとつだと僕も思う。
しかし少なくとも、政治家や官僚にアピールするときには、非科学的なものと麻雀が結び付けられるようなことは言うべきではない。
多少強引ではあっても、麻雀は科学的で論理的な競技である、ということを一致団結徹底的に主張しなければならない。過去のビリヤード業界のように。

麻雀に、偶然が絡むことは間違いない。
しかし、それは麻雀に限られない。
偶然が絡まない競技など存在しない。
将棋も、囲碁も、野球も、サッカーも、勝敗には偶然が影響している。
羽生善治は自著で、20手先が完全に読める棋士などひとりもいない、と記している。相手がどう指すかの予想など、完璧にできないからだ。相手がどう指すかは偶然の事象である。事実、羽生にしても全勝している相手はほとんどいない。勝敗に、ときどきの偶然が左右している。
サッカーの勝敗が運に左右されることは言うまでもない。ギリギリのシュートがゴールになるかポストに当たるかは、全くの運だ。運が良ければ、オリンピックで日本がブラジルに勝つこともある。ユーロでギリシャが優勝することもある。
この点で「麻雀は運ゲー」と批判する主張は、的外れである。
それを言えば、全ての競技は運ゲーなのだから。

全ての競技の勝敗は、実力と運の両方が作用して決まる。
それは、麻雀も同じだ。
そして他競技と同じように、麻雀にも明らかな実力差が存在する。練習量・勉強量・経験の多寡、さらに生まれつきの才能などを原因とする実力差がはっきりある。

麻雀が損をしているのは、運が見えやすい一方、実力が見えにくいという点だ。
不完全情報ゲームであるという性質上、対局が公開されることで、勝負が運に左右されるところが明白に見えすぎる。
ここが将棋と比べて不利なところだ。完全情報ゲームである将棋は、偶然が左右するのは互いの思考過程のすれ違いであり、その部分は目に見えにくい。

運が見えやすいことの反面、麻雀は実力が見えにくい。
が、この部分は努力可能である。業界として、たとえば話力のある解説者や筆力のある記者を育てるなど、麻雀の実力に差があるのだということを、世間にアピールするための方策は考えていける。

僕自身、麻雀プロになり、前よりも配信対局を見る機会が増え、一流プロの強さを目の当たりにして、これは、麻雀のイメージアップや法律的地位の向上に一役買えるはずだと確信した。
飛躍した話ではあるが、昨夜の鉄人たちのえげつない強さの麻雀などは、麻雀を国会にアピールするときの材料のひとつとして使う方法があるはずなのだ。それを考えていきたい。

法律的地位の向上を考えたとき、麻雀は運ゲー、という主張は絶対に排除しないといけない。
そのために、プロには強くあってほしい。そうあるためには、選手たちの努力はもちろん、強さが分かりやすく見えやすい環境を周囲が整えることも大切だ。
僕がはじめたグリーン杯、選手には大変申し訳ないが、ルールについて、色々たくさん盛り込んでいる。
赤あり、アガ連とテンパイ連、トビ賞あり、変則ウマ、アドバンテージ・・・とにかく何でもぶち込む”全部乗せ丼”みたいなルールになっている。

これは、プロモーターとしては初心者の僕が、要素が多ければ考えるポイントが増えて、それだけ実力が見えやすい戦いになるだろう、と単純に考えたからだ。
放送としての都合上、短期決戦にせざるを得ない。しかし、要素を多くして思考ポイントが増えれば、短期の中でも実力が見えやすいのでは、と。

単純な僕の考え方が合っているのかは、正直分からない。
しかし、厚かましいお願いだが、意見は欲しいと切に願っている。
実力がみえやすいルールづくり、というのは、業界の将来のためにも、ひとつ大きなテーマだと思っている。
そのテーマで考えたとき、今回のルールは、どうか。
これは良い。これはいらん。つーか、これは意味不明。
忌憚のない意見を、僕のツイッターなり事務所アドレス(info@greenlaw.jp)なりにいただければ、本当にありがたい。
カッコつけて弁護士っぽく言えば・・・健全な議論こそが発展への近道である。

選手たちは、予選1日目から、抜群の麻雀をしてくれた。不慣れなルールの中で最高のパフォーマンスを発揮してくれて、ちょっと感動してしまった。それに応えるためにも、麻雀は運ゲーだという主張は、そのうち必ず亡き者にしてやろうと思っている。

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麻雀」カテゴリの記事

コメント

さすがにひどい・・・
相手の行動=偶然=運ゲーってのはかなり無理がある
相手の行動を予測し行動するのに運の要素は絡まない
シュートも運で決まってるわけじゃなくできるだけ自分が蹴りやすい状況を作り上げて蹴ってるわけで
運まかせでやってるわけじゃないしちゃんと狙ってる
ビリヤードは最初から偶然性があるものじゃない

>麻雀が損をしているのは、運が見えやすい一方、実力が見えにくいという点だ。
>不完全情報ゲームであるという性質上、対局が公開されることで、勝負が運に左右されるところが明白に見えすぎる。
>ここが将棋と比べて不利なところだ。完全情報ゲームである将棋は、偶然が左右するのは互いの思考>過程のすれ違いであり、その部分は目に見えにくい。

>運が見えやすいことの反面、麻雀は実力が見えにくい。
>が、この部分は努力可能である。業界として、たとえば話力のある解説者や筆力のある記者を育てる>など、麻雀の実力に差があるのだということを、世間にアピールするための方策は考えていける。

この部分ではちゃんと理解してるのに
上では強引に曲解してる
こういうやり方をすると信頼できなくなるから麻雀を健全にしていこうと思ってるならやめてほしい
理があって筋がないと業界全体が協力するってのは難しいでしょ
法例をつくり上げるために曲解した解釈でもそうしたいってのなら見えない部分でやってくれないと

大会のルールに関しては色々追加してるけど結局実力を見せるルールになってない
健全化目指すための実績を作りたいなら雀荘と同じルールもしくは雀荘が取り入れやすいルールでやらないと意味が無い
あがりやめなどの不平等な部分に関しては修正してもいいと思う
麻雀だけがプロとルールが違う
そこがおかしいとアピールして雀荘と同じにしないと
運の要素を排除するためにドラなしとかやるよりも
長考を可能にすればいいだけ
あと理牌の自由化
プロの対局は配信があるから理牌強制だから左端の牌が3mだったら1mは100%安牌になる
ネットだけがうまい人とリアルでもうまい人の差は見えてる情報の集め方の差
手出しの位置とかかなり重要
河の見えてる情報だけでやってる限り健全化も無理だと思うし実力の差をアピールするのも難しい
解説も打ち手もそこまでできる人間を集めてやらないといけない
見えない情報=運だから
見えない情報(相手の手・山)をどう予測してるのかこれを説明がうまい人間に説明させて科学的な根拠を出せばいい
見えてる情報から見えない情報を予測が可能かどうかってのは一応微差だけど可能だから運じゃなくきちんとした頭脳ゲームと言い切れるからそこを強引にやれば
健全化は可能だと思う

そうですか?
相手の行動を読める人間などいないです。
あくまで予測の範囲ですから、相手の行動を運と考えるのは間違っていないと思いますよ?

あと、むしろプロはプロとしてルールを確立すべき。

野球なんて、アマとプロでは道具も違うし、ルールも違う。

将来的にテレビ放送に合うようどんどん改革すべきと思います。

「運ゲー」、また「偶然」という言葉の使い方が曖昧なようですが…
奇しくもこの記事で使ってらっしゃるように、「完全情報ゲーム」という言葉がありますよね
チェスや将棋など、これらは確実に「運ゲー」からは外れます
相手の次の行動が分からない、というのは展開型ゲームにおいて当たり前のことであって、「偶然」という表現は論理的に正しくありません
ここは明確にしておいた方がいいと思います。間違った言葉を使うとツっ込まれます
そしてこれに当てはまらないゲームは、言葉の定義で言えばすべて偶然の絡む不完全情報ゲーム、つまり「運ゲー」ですので
「麻雀は運ゲーではない!」という筋からの主張は無理があると感じざるをえません

じゃあ麻雀におけるプロと素人に全く差がないと言いたいのか、と言われると勿論そんなことはありません
では、偶然が絡むゲームにおいてプロとアマを分ける違いは何なのかというと、個人的には「アベレージ」だと思っています
ハンチャン一回では、プロと素人の実力差はおそらくほとんど出ませんよね
どんなに強くても絶対に上がれないハイパイというのはあり得ますし、テンホー引かれちゃどうしようもない
しかし何十局、何百局と打てば差は確実に出るでしょう
それは、※1の方がおっしゃっているように、実力者しか作りだせない偶然ではない部分での「「微差」の積み重ねだと思います
野球でも同じで、一打席勝負では素人のポテンヒットもあり得ますが、100試合以上のペナントレースで結果を残すのはプロにしか無理です
打率が.260と.300では、たったの4%の差ですが、二軍と球界の一流ぐらいの違いがあります
後者の凄さは誰もが認めるところだと思いますが、麻雀におけるその「微差」を作れる一流の凄さ、実力の確かさというのがどれだけ分かってもらえるかは、かなり疑問です
ルールに判断材料を多くするような工夫をするというのは建設的な良い考えだと思います
しかし野球と違って分かりやすい160キロのストレートやホームランがないですから…見ている人にその(ぶっちゃけ地味な)判断の凄さや思考プロセスをうまく伝えられるかどうかが肝になるのでしょうが・・・うーん
数々のトーナメントを勝ち抜いて生涯獲得賞金5億!とかデカイ数字になったら一般人にも非常に分かりやすいですけどね
案外そういうインパクトのある既成事実を先にこしらえちゃう方が近道かも・・・?
僕も「運ゲー」で食ってけたらいいなあと思ってるクチなので前向きに考えてみましたが、やはり難しいですね

フリーを愛する我々にとって冒頭の2行は手放しで応援したい。

雀サクや各団体とともにまずは全国のフリーにルールの統一を呼びかけることから
始められては?

もちろん非協力店もやまほどあるでしょうが、
加盟店には何らかの目立つ加盟シールを作るなどして我々は全国統一ルールで
競技としての麻雀の場を提供していますよ、と。

弁護士主導の活動という事で摘発されにくいというイメージを客が持ってくれれば
店のイメージアップにもなりますし、
なによりルール統一なら安心していろんな店に気軽にいけます。

あ、三麻でやってもらえたら最高です。

フリーを愛する一雀士として、先生の活動は全面的に応援致します。

ただ他の方のコメントで触れている通り、他の競技に対する「運」や「偶然」に関しては、扱いを慎重になさるべきかと。
ビリヤードなどの過去事例紹介は必要と思いますが、本活動において将棋やサッカーと麻雀を比較することには、あまり意味は無いと感じるが故です。

また持論になりますが、麻雀を論理的、科学的に表すのであれば、

・統計から導き出される、確率的に優位性のある打牌が存在すること
・長期的観点では、それら打牌は確率通りに収束し、その優位性を示すこと
・麻雀は、より優位性の高い打牌を選択するゲームであること

であるかと考えています。

またルールに関しては、要素が多ければ偶然性が増え、運の要素が増すのではないでしょうか?
長期的に見れば、それら要素一つ一つに対して的確な戦略を取れる打ち手の実力が発揮されるかもしれませんが、短期的には寧ろ逆効果であると考えます。

ルールはよりシンプルに、一般的な巷のフリールールである赤3枚入り程度が妥当では無いかと。それが最終的な目標にも合致すると思われます。


以上、長文失礼いたしました。

 僕はなんていうか、「麻雀は運ゲー」という考え方はあってもいいのかなと思います。
 それぞれに思考のプロセスはあるので、思想の違いはむしろあって当然に思えるのです。もちろん、実力で決まるという人がいてもいいけど、運で決まるという人がいてもかまわないと思います。もうちっとゆったり目に麻雀は楽しめればいいという人でもぜんぜんかまいません。
 根底が好きであって、受け入れる人がいれば麻雀愛好者としてはそれはとても嬉しいものなのです。

 ちなみに相手の行動はある程度読めますよ。
 むろん全部じゃないにしろ精度次第じゃ極めりゃ小さな違いまでも読めてくるようになるはずです。
 それはネット麻雀よりもフリーなどのリアル麻雀のほうがわかりやすいかもしれません。

運ゲーという考え方はもちろんあっていいけど
フリーが摘発されないという目的のために競技性をどう主張していこうかって議論でしょ?

で、先生は実力ゲーで押していこうとされていると。

僕はそれよりも、まずフリー間でルールの統一を目指す。
その活動を支持する雀荘は競技性を高めたいという意思表示をしていますよと
当局にアピールする。
その雀荘であそぶ我々は摘発を恐れず遊ぶことができる。

こういう図式はどうかなあと。

連投すみません。

個人的にも「麻雀の法律的地位の向上」や「多少の賭け麻雀は100%捕まらないという法律的状況」というのは歓迎ですので応援したい立場なのですが、さすがに「麻雀に、偶然が絡むことは間違いない。~それを言えば、全ての競技は運ゲーなのだから。」の部分は無理があると感じました。

確かに麻雀も将棋も運の要素が絡みますが、だからといって「麻雀を運ゲーだというなら将棋も運が絡むから運ゲーだ!」という意見は極論だと思います。運の要素が占める度合が違いすぎますから。将棋では初級者が上級者に運で勝ってしまうことなどほぼありえませんが、麻雀ではよくある話。偶然性の差は残念ながら明白です。他競技との比較は極力避けた方が無難でしょう。比べると偶然性が際立ちます。ただ淡々と「統計や確率に基づいた科学的なゲームである」ということをアピールするだけで良いと思います。

カレーさん

他の競技だと相手の行動を予測したり相手が自分の有利になるような行動するように仕向けたりとかは
運で判断して行動してませんよ
ちゃんとデータを元に行動してます
行動の統計データは運じゃなくちゃんと科学的な理論です
野球で言えばどこにどの球で投げるのか運じゃなくデータとってやってますよね
プロとアマの違いって言うのは根本的な部分では野球を含めほとんど同じですよね
麻雀の場合だと一発裏なし、理牌強制などは野球で例えれば牽制球なし、変化球なし
ど真ん中ストレートだけでやってるのとかわらないですよ
その結果ほんとに実力があってもプロ(笑)になる
スポーツで例えるからルールや道具が違ってもいいと思い込むんですよ
頭脳ゲームなんだからトランプ系・チェス・将棋・囲碁やeスポーツなどで比べないといけないですよ
これらの頭脳ゲームでプロとアマで大幅にルールが違う物ってありますか?
時間以外ないですよね?

麻雀・ポーカーなどの非完全情報ゲームは、
「期待値がプラス(確率的に有利)になる選択を重ねることにより、目的を達成することを目指すゲーム」
だと思っています。

試行回数が少ない内は偶然性のぶれが大きくなるが、試行回数が多くなるにつれて収束し、選択の優劣が大きな要素となっていく。
統計データによる確率と期待値の算出って、立派な科学ですよね。
「これは科学じゃない!」とか言うなら、量子力学も市場調査も全部科学じゃなくなりますし。
多分、海外のポーカーに対する見解などを漁れば、いくらでも科学論文が出てきそうな気がします。

少し追記を…

>数々のトーナメントを勝ち抜いて生涯獲得賞金5億!とかデカイ数字になったら一般人にも非常に分かりやすいですけどね
>案外そういうインパクトのある既成事実を先にこしらえちゃう方が近道かも・・・?

と書きましたが、圧倒的なキャリア・勝率を誇る「スター」が出てくる(あるいはプロモートする)と、一般の人にも分かりやすいと思います
「運ゲー運ゲーと言うけど、あいつの勝率を見てみろ。アレがたまたまだと言うのか、麻雀に『実力』ってのがある証拠だ!」と言えるじゃないですか
将棋の羽生さんを見てその実力(将棋というゲームに『実力』が存在すること)を疑う人はいないでしょう
偶然の要素が強いように思われるゲームで長年結果を残し続けているプレイヤーというのは、「実力」の根拠を支えるのに大きな役割を持っていると思います
格ゲーにはウメハラ、ポーカーにはフィル・アイビーやダニエル・ネグラヌなど、象徴的な存在というのがいます
麻雀だと小島さんや桜井さんになるのでしょうか?
ただイカサマやオカルト的理論(ファンの人ごめんなさい)のイメージも強く、論理的な強さを示すキャラクターではないですかね…
「運ゲーって言うけど、じゃあお前○○に勝てるのかよ」と言えば黙らせられるような新しいスターの登場に期待します

本来は「麻雀が運ゲーでは無いと証明するには?」という議論が交わされるべきところを、僕の不用意な反論のせいで「他種目も運ゲーと主張するのは無理があるのでは?」という議論の流れになってしまい、まことに申し訳ありません。

僕に返信をくださった方にも謝りたいです。
無知ゆえ的外れな反論をしてしまい、申し訳ありませんでした。

それで、この方のコメントにもありますが、麻雀が運ゲーと言われるゆえんは「プロでも素人に負ける事がある」これに尽きるのではないでしょうか?

確かに素人三人にまざって「絶対トップを取れ!」は、どんな強豪プロにも無茶な注文です。

しかし、逆ならどうでしょうか?

間違いなく実力者のプロ三人に素人一人混ぜて「絶対トップを取らせるな!」と注文したら、素人がトップを取る可能性は皆無では無いでしょうか?

いや、そんな注文を出さなくても、われポン規模の大会で普通に競わせるだけで、ほとんど素人の優勝の目は無いんじゃないでしょうか?

麻雀は四人でやる競技ですから、これは卑怯判断方法では無いと思うのですが……やっぱり卑怯ですかね?

カレーさん

まずはこれを見てみましょうか
https://twitter.com/Return_Nothing/status/578109978357043200
https://twitter.com/Return_Nothing/status/578099054975983616
素人のうまい人とプロのほんとにうまい人が対戦した時のデータです
差がないんですよね
プロのトップレベルと素人のトップレベルが同じレベルなんですよ
連盟の年寄りとか女流とか下のクラスの人間に至っては素人のそれなりに打てる人以下なんですよ
女流の対局を見ればわかると思いますが牌効率の基礎ができてないレベルなんですよね
素人のそれなりに打てる人は牌効率が出来てますから

押し引き、河以外の情報の手に入れ方、手牌読み、山読み
ここらへんがうまい人との差なだけでこれ出来る人って少ないんですよ
河以外の情報の手に入れ方や手牌読みって簡単に対策できて対策してない人にしか意味がないんですよ
山読みに至っては微差しかないのでその情報があてにできるかどうかっていうとほとんど意味ないですね
数万局打って微差がわかるかなって程度です
差が明確に出るのって押し引きしかないんですが
ある一定の状況のデータしかなく状況が変われば変化してしまうのでこれが正しいって言うのが今はまだ難しいんですよ
なのでプロのうまい人が押しててもそれが正しいとは言い切れないし押さないのも正解かもしれないんですよ
将棋のトップレベルとアマのトップレベルじゃかなりの差があり勝負になりませんが
麻雀のトップレベルって天井が低くてちょっとまじめに勉強すれば誰でもなれるんですよ
今ならいい本もあるしわかりやすいサイトもあるのに
なぜかみんな勉強しないんですよね
ちょっと勉強して無理に押さなくなるだけで女流レベル越えますよ

はあ……

プロのレベルが低いという主張は分かりました。

でも、プロのレベルが低い=麻雀が運ゲーってのは違う気がするのですが?

文中のプロ→天鳳位
素人→初段
に変えても駄目ですか?

できれば、麻雀を実力ゲーと証明するにはどうするか議論したいんですけど。

あなたが「それは無理。麻雀は運ゲー」と思うのでしたら、その理由なり考察なりを書いてもらえると嬉しいんですが、駄目ですか?

プロのレベルが低い=麻雀が運ゲーってのは違いますよ
同じレベルの人たちまたは一定以上のレベルで対戦となると運ゲーになるってだけです
天鳳の初段と天鳳位で比べる場合一般人がどの程度の差があるのか認識できないと思いますよ
あと初段じゃ素人じゃなく牌効率もできてない初心者なんで
雀荘のおっさんは押し引きが甘いだけで牌効率は問題ない人が多いです
あと天鳳だとゼンツで8段まで行ったって話もあるんで
雀荘によく通うおっさん=8段といっても過言ではないと思うんですよ
8段と天鳳位に何の差があるかっていうと確率の偏りだけですよね
要は運ですな
微差の部分が明確になっててもそれの積み重ねで大差ができるかっていうと難しいですね
http://totutohoku.b23.coreserver.jp/hp/SLtotu12.htm
これみたらわかると思いますけど
最低限の実力があれば確率の偏りで誰でも上にいけるってわけですよ
結局は運で実力の評価とされる段位が手に入っちゃうわけですよ
その確率の偏りの基準がいい数値なのが腕なんですけど
腕の差を明確にするのは無理ってわかりますよね
素人とプロの差に大差がでない競技の性質上どうしても確率の偏りの差しかないんですよね
ポーカーも統計データでやってますけど最終的な部分は運なんですよね
http://www.pokerdou.com/reference/starting-hand-winper/
これがポーカーのスターティングハンドの勝率データですけど
数をこなせば差はでますけどAKの同じスーツ(マーク)またはAKの別のスーツがきた場合
どっちにしても攻めるわけですよ
この状態だとフラッシュ以外の確率の差がないので場のカードでの判断基準がフラッシュ以外まったく同じになります
なのでこの差はフラッシュがくるのかどうかって言う運の差しかないわけですよ
不完全情報ゲームはどうしても運の要素がつよくなるんですよ
ポーカーの場合だと数をこなしやすいので差がでやすく
判断基準がすべて決まってるのでそれをちゃんと頭に入ってるのがプロです
麻雀の場合は判断基準決まっていても牌効率は基礎で出来て当たり前
押し引きに関しては状況にあわせた明確なデータが存在しない
運ゲーの中の実力差が出る部分があってもそれを解析する努力をする人が片手で数えれるほどしかいないんですよ

麻雀の実力が出る部分は何度も書きますけど
牌効率、押し引き、河以外の情報の手に入れ方、手牌読み、山読み
ここだけなんですよ
牌効率はみんな同レベル、押し引きはうまいと言われてる人でも解析はしてない
河以外の情報、相手の手牌読みは完全にはできないしばれる情報の部分は対策できる
山読みはほんとに微差しかない
ほんとに押し引きだけなんですよね
これをどうアピールしていくかだけですね
プロはすごい。そこらへんのおっさんとは違う
ってのを押し引き部分だけでどう実力をわからせるのか

運ゲーだけど実力もでるのが不完全情報ゲームなんですよ
運ゲーじゃないって否定することがまず間違いなんですよね

最後の「運ゲーだけど実力も出る」っていう表現が一般ウケしないんじゃないですかね?

現状数千試合必要だろうと、押し引き以外に差をつける方法が無かろうと「強い人と弱い人の差を出す方法はある」とデータは証明してるわけですよね?

ならば、不確実要素があろうが無かろうが「麻雀は実力ゲー」と言い切って運動を起こした方が良いと思うんですが、どうでしょうか?

あ、上のコメント僕ですm(__)m

押し引きのデータで実力ゲーだと証明してても
不完全情報ゲームだから偶然性の部分に実力差があると証明ができない
健全化を目指したいならこの偶然性の塊の山について解析をして見えてないけど
ある程度読めるだから偶然性が高いゲームじゃなく実力の差がはっきりと出るって証明しなきゃいけない
だからって金賭けていいかってなると賭けちゃだめ
賭博罪は偶然性がなんちゃらってかいてるけどそれだけじゃない
それだけが問題ならすでに日本でも格ゲーなどでマナーマッチが主流になってる
マネーマッチをやってもいい環境作りをしなきゃいけない

なるほど……。

あ、色々ありがとうございました。
Twitterとかもやってるんで、もし見かけたらまたよろしくお願いいたします。
m(__)m

色々教えて下さい。

ビリヤード囲碁将棋サッカーが「運ゲーではないと思われている」例に挙がってるけど、これらも賭博に使えば捕まるでしょ?

麻雀が「相対的に偶然性が強いゲーム」であることは議論の余地がないレベルの話だと思いますが。そのうえで、ここ十年くらいの間にいわゆるデジタル派がその偶然性を論理的・科学的に扱うようになったということなのであって。
他の方が既に書いておられますが、個人が主観的に認識・予測できないものを全て「運」「偶然性」という言葉で一括してしまっているのが本記事の主張の弱点ではないでしょうか。将棋なんかの例は、棋士個人の能力に限界があるから予測できないだけで、予測可能性そのものが存在しないわけじゃないので「偶然性が存在する例」としては不適切でしょう。20手先を完全に読める棋士が今後出てこないとは限らないのです。
勿論そういうつもりで書いてるわけではないでしょうが、「麻雀を健全化させる」ために意図的に曲解したり明らかに間違った主張をするようなことがあると、ネット麻雀クラスタみたいな味方になってくれるかもしれない層にも共感をもって運動に参加してもらえなくなるので、そこは細心の注意を払ってほしいなと思います。目的達成のために「事実」を従属させようとすると反発を招くだろうということです。勿論「あえて」「ためにする」議論と割り切るなら話は変わってきますが・・・

麻雀は運ゲ-

「不完全情報ゲーム」である麻雀を「偶然性が低い競技」として記述することは困難である。
一方、麻雀を「科学的・論理的な競技」として記述することは可能である。しかしそれでは、例えばポーカーなども偶然性と科学的・論理的思考が同居しているわけだから、賭博罪の成立要件を満たしていないと主張することは難しい。従って、「偶然性」という概念自体のイメージをズラすようなある種の論理的飛躍が必要になる。
例えば、麻雀を「確率のゲーム」として捉えるというのはどうか。麻雀は「丁か半か」といった純粋な偶然性を、遊戯としての面白さや競技性の中心においているわけではないと主張するのである。そこでは「偶然性」は確率という形で論理的・科学的な分析の対象となる。この見地からは例えばポーカーなども賭博である以前に競技としてみなしうるだろう(実際偶然性の有無にかかわらず、ほとんどあらゆる「賭博行為」は「賭博行為」である前に「競技的性質」を持つ)。麻雀が、丁半博打とやチンチロなどちがって、金銭の授受を経ない形で遊戯・競技として自律しても充分成立することは、競技麻雀やネット麻雀などの実例からも明らかだ。
このように「純粋な偶然性」と「論理的・科学的な確率論」をアプリオリに分節することで賭博罪の成立要件とされる「偶然性」自体を問い直すような論理でしか、麻雀を賭博における「偶然性」から切り離すことは困難ではないだろうか。

宝くじみたいな運否天賦のギャンブルなんかより論理的な思考が必要なこのゲームが淘汰される意味が分からない。

http://plaza.rakuten.co.jp/igolawfuwari/diary/201006180000/
>>そもそも賭博とは「当事者にとって主観的に確実に予見できない、あるいは自由に支配できない、主観的に不確実なこと」について金銭をかければよい

この記事の記述が正確ならもうこれ無理だろw「麻雀を健全化させる」には金銭を賭けない、しかないんじゃないですかこれはw

麻雀牌を全て表にしてやってみればよいのでは? まぁそのままでもいいけど次にツモってくるのは
赤い牌か黒い牌かでも一目瞭然

ライチルール

鳴きはなし 赤入りであがると一億点

牌は全て表 さて勝負を左右するのはなんでしょうか?

ルールが違うデータ持ち出してどうすんの?

ランダムに選ばれた手牌を使って、ランダムに積まれた山から一枚取って一枚切るっていう麻雀のルール自体が運任せなゲームってことだろ

この記事を見てると、賭け碁や賭け将棋も賭博罪になることを知らないように読めてしまうのだが・・・

運ゲー派は主張もしてるし立証もしてる

めちゃくちゃな理屈やな
つーか弁護士試験の完全な予測は不可能やし運ゲーになるんちゃうw
運よくたまたま受かっちゃっただけなんやから弁護士資格返上するとこからはじめようやw

物は違えど同じボードゲームを楽しむ者として、興味深く御説を拝読させて頂きました。
私にとって麻雀及び麻雀打ちの方は、賭ける事が当然であり、そのため多少なりともアウトサイダーであり、ダーティな雰囲気をまとっており、退廃的な部分があること自体を是であるとしているという認識だったので、津田さんのように「賭け麻雀の合法化」という論を立てられていること自体が目新しかったです。


何人かの方がコメントしておりますが、津田さんが「偶然性の低いもの」として挙げている野球、サッカー、将棋etc.について、現状は賭博罪が適用されてしまうわけですよね。
確かにご指摘の通り「偶然性の有無」というものは構成要件の一つですし、麻雀の賭博について、違法性がない様にするためには構成要件該当性を潰すという作戦はアリの様に思えますが。

いわゆる「実力ゲー」でさえ賭博行為が違法とされている現状で、その論理立ては負け筋と思うのですよね。
「所論は自説にすぎない」と、判決文でバッサリ斬られる様がありありと浮かびます。

そもそも賭博罪の趣旨自体が、勤労意欲の低下防止とかいう「社会的法益」のためとされている状況からすると、射倖性の高さ自体はさほど問題ではなく、その賭博行為が合法とされた時に、如何に「勤労意欲」を阻害しかねないか、という点が重視されるのではないかと思います。

その点から考えると、賭博行為の合法化は、賭博対象よりも、賭博行為の機会(時・場所)の限定及び、賭博行為により得られる利益の上限の設定という方向から考えるべきと思うのですよね。

前者はそのまま、カジノ特区や公営ギャンブルの発想でしょう。
また、前者を設定しかつマイナンバー制度を導入する現在であれば、後者の制限も技術的には可能となる見込みはあります。
限定された機会でのみ賭け麻雀が合法化するというこの制度下では、賭けない麻雀ですら「賭博行為が行われている可能性」を排除するために、許容されないという状況を招きかねませんけれども。


結局のところ、金を賭けないことを徹底することこそが、一番なのではないでしょうか?
その方が、麻雀にまつわるダーティな雰囲気をぬぐい去り、社会的な地位の向上というものも見込みやすくなるように思えます。
そのことと併せて「運ゲー」要素を排除していけば、いずれは風営法の規制対象から外れる可能性は、僅かながら見えてくるかもしれません。
そのことを指して「麻雀の法律的な地位の向上」というのであれば、言って言えないこともないでしょう。
とりあえず現在、規制され始めている「カジノ型デイサービス」において、その規制対象から麻雀が除外されるという点を目指すことが先鞭すべきことのように思われます。
(麻雀であれば、施設の利用面積・時間の相当部分を占めていても、「カジノ型デイサービス」の規制対象にならないようにする、という意味です)


> 僕の最終的な目標は、麻雀の法律的地位の向上である。
    もっと直接的に言うと、多少の賭け麻雀は”100%”捕まらないという法律的状況をつくることだ。

ここに記されたことが全てでしたら、道程は遠かろうと思います。
賭博罪がなくならない限り「多少の賭け麻雀は”100%”捕まらないという法律的状況」は生まれないでしょう。
少なくとも賭博罪の適用は、射倖性の有無のみによって運用されているわけでなく、財物を賭して勝敗を争うこと、そしてその結果、勤労意欲が低下することを防止するという社会的法益の保護を目的としているためです。

例え危険牌を予測できようが、麻雀にはそんなの関係ないんだわ。上がれなきゃ勝てないんですよ?逆に聞きますが、麻雀における実力ってなんですか?危険牌の予測?
そしてツモはどう説明するんですか?これは運じゃないんですか?よく「確率を高くするための手を張る」という意見を目にしますが、最終的に絡むのは運ですよね。実力なんてツモにおいては全く関係ありません。あるとすれば、場に上がり牌が全て出ているか出ていないかくらいですね。ちなみに言っておきますが、麻雀はれっきとしたギャンブルです。パチンコとレベルが同じです。
あなた方ギャンブラーというゴミに言っても分からないと思いますが、麻雀における実力というものは、パチンコにおける必勝法と同じレベルのものなのです。つまり結局は運。それを未だに悟れないギャンブラーの皆様は全く、日本人の恥ですね。

麻雀を実力ゲーにしたいなら、ツモあがり無しにすればOK

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