津田岳宏の事務所

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ギャンブル

2015年10月21日 (水)

野球賭博について

野球賭博が世を騒がせている昨今,テレビ局や新聞社などから複数の問い合わせがある。
皆さまこのブログを見ていただいているようで,引用していいいか等問い合わせがあるのだが,このブログの内容はどんどん引用いただいて大丈夫です。
話題になっているから今だからこそ,賭博罪が抱える大きな矛盾をひとりでも多くの人に知って欲しいと私は痛切に思っている。

なお,本件については,産経新聞が展開する言論サイト「iRONNA」にも,私の記事が載っているので,よければご参照下さい (罪に問われる賭博とそうでない賭博 法律論から見た日本の矛盾)。

野球の勝敗について金を賭けると賭博罪にあたる。
勝った方が明日のランチをおごる、という程度の賭けなら賭博罪にはならないが、金を賭けるとたとえ少額でも賭博罪にあたる、というの現在の判例理論だ。

もっとも、検察官が賭博捜査の実務について著した「賭博事犯の捜査実務」には「些細な賭けまで全て検挙することは国民の無用の反発を買うことになる」とも書かれており、たとえば勝った方が500円を払う、程度の賭けであれば,形式的には賭博罪にあたる行為ではあるが、実際に捕まる可能性はゼロといっても良いくらいだ。

そもそも,日本には競馬や競輪など合法的な賭博が存在しており,賭博それ自体は,反社会的行為とはいえないえない。

今回の件で大きな問題は,現役の野球選手が野球賭博に手を出したという点だ。
阿部珠樹著「野球賭博と八百長はなぜなくならないのか」には,「賭博は八百長のゆりかご」というフレーズが再三出てくる。
賭博において,八百長をすれば簡単に儲かるだろう,というのは誰でも思いつく。
現役選手が野球賭博に巻き込まれたときには,八百長への勧誘がされる可能性が高くなるのだ。

仮に八百長によってイカサマ賭博に加担すれば、賭博罪ではなく詐欺罪のほう助(もしくは共同正犯)に該当する。
イカサマ賭博は賭博罪ではなく詐欺罪で処罰するのが判例理論だ。
詐欺罪は重罪である。軽微罪である賭博罪よりも違法性が格段に高い。
八百長に加担することは,法律上も重罪である。

このような法律上の理屈よりもさらに問題なのは,八百長がされると,競技自体の信用性が著しく阻害され、その存在自体が危うくなるということだ
今から45年前,プロ野球最悪の八百長事件である「黒い霧事件」の影響はきわめて甚大であった。
栄光の歴史を持ち地元福岡でおおいに愛さされていた西鉄ライオンズは,観客が激減し身売りする羽目になった。その後九州は,プロ野球の球団を持たなかった「空白の時期」が約10年存在する。

1球団だけではなく,黒い霧事件の影響は,パリーグ自体が消滅寸前になるほどであった。
なんとか存続したものの,イメージ悪化による人気低下はすさまじく,パリーグの試合には閑古鳥が鳴く時期が長く続いた。
名捕手野村克也が偉大な本塁打記録を打ち立てた試合,観客はわずか7000人,試合後野村は「
花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかない所でひっそりと咲く月見草もある」とコメントした。代名詞「月見草」誕生の裏には,黒い霧事件の影響による酷い人気低下があったのである。

さらに野球賭博の違法性が高い理由(当局が問題視する理由)は,これの胴元が暴力団だという半ば周知の事実があるからだ。
野球賭博というのは,基本的に「ツケ」でなされる。客は,コワモテのヤクザだからこそ負け分をきちんと支払い,またそういう「負け分をちゃんと回収できるヤクザ」だからこそ勝ち分もちゃんと支払ってくれるだろうと”信用して”賭けに参加するのだ。

また,野球賭博には,賭け客を増やすための独特の「ハンデ」というルールが存在する。
たとえば,ソフトバンク対DeNAという試合があったとき,単純に勝ちチームを当てるだけなら,ソフトバンクに賭ける人が殺到する。
このような場合,ハンデが大きくものを言う。
上記の場合,たとえば,ソフトバンクからハンデ「2」が与えられた場合,試合結果が
DeNAが1点差で負けたとしても,賭けのうえではDeNAの勝ちとなる。そうやって「魅力的なギャンブル」にするのだ。
ちなみにハンデは,実際はもう少しややこしく,「1.8」などと小数点付きで出されることが多い。ハンデ「1.8」の場合,ソフトバンクに賭けてソフトバンクが1点差で勝てば,賭けの上では負けなのだが,それは「8分負け」ということになり,10万円賭けていた場合,2万円は返される(払い戻される)。そうやっていわゆる「ニアミス効果」(外れなのだが当りに近付いたとプレーヤーが認識できる場面が多いほどのめり込みやすいギャンブルとなるetcパチンコにおけるアツいリーチ)を生んでいるのだ。
「適正なハンデを出すこと」が,野球賭博の胴元には必要なのだが,これをするには相当な野球知識のある者(「ハンデ師」と呼ばれる)を雇う必要があり,これもやはり,大きな組織でないとできないことになる。

結局のところ,野球賭博の胴元は,大がかりに非合法なことをできるコワモテだがある種の信用ある組織,ということになり,これは暴力団をおいて他にない。
暴力団事情に詳しいジャーナリスト溝口敦によれば,元暴力団関係者が「野球賭博の胴元は,ヤクザの中でもカネを持ち信用のあるヤクザでないとできない」と証言していたという。この点は,うちの法律事務所の顧問である京都府警捜査4課(暴力団対策課)OBの阿部氏も同趣旨のことを言っていた。

以上を踏まえ,野球協約は,野球賭博についてきわめて厳格な態度を示している。
野球賭博をするだけで1年ないし無期の失格処分,それがもしも所属球団について賭けたのであれば,それだけで永久追放処分である。

賭博じたいももちろん違法行為であり問題ある行為ではあるが,それは,刑法上は微罪である。
今回の選手たちは,法律上は,不起訴かせいぜい罰金を課される程度である。
おなじく風紀罪である覚せい剤などと比すると,法律上は軽い処分にとどまる。

しかし,野球界からは,きわめて重い処分をくだされるだろう。
それは,野球選手が野球賭博に手を出すということが,プロ野球の存立じたいに関わることだからだ。

黒い霧事件のときは,当初は1人だけが対象でそこまでの騒ぎではなかったのだが,事がおさまるかと思ったときに,多数の関与者が発覚して大騒ぎになった。
私は,プロ野球が大好きだ。
今回の件が,黒い霧事件のように波及しないことを心から願っている。
今の日本では,賭博じたいが禁止されているわけでない。
合法的にできるギャンブルは山ほどある。
スマホをいじるだけで馬券が買える時代である。
競馬に飽きれば,駅前や国道沿いのパチンコ店が待ってくれている。
麻雀だって,仲間内でこっそりと賭け麻雀するくらいなら,警察はお目こぼししてくれるのだ。
今の日本には,手を出していいギャンブルと手を出してはならないギャンブルが存在するのだ。
くだんの選手たちにそれを教えてあげる人は周囲にいなかったのか,私はそれが残念でならない。

私は,今回のような事件が起きる原因に,賭博罪が曖昧なままで据え置かれていることがあると考えている。

今の日本は,誰でも手軽に賭博ができる環境であるのに,一方で,賭博は犯罪だという建前もいまだ残っている。

そのようなグレーな状況のもと,みなが賭博と正面から向き合わないから,社会全体の賭博についての知識が欠如し,当然くだんの選手たちも知識がなく,つけ込まれるスキが生じてしまうのだ。


賭博とは何なのか。
賭博から生じ得る問題は何なのか。
やっていい賭博としてはならない賭博の境界線はどこか。その理由は何か。

これだけ賭博があふれかえっている世の中なのだから,本来そういう社会的教育が必要である。
しかし,これらはなされない。
賭博は犯罪だ,という建前が残っているからである。
そこに賭博があるのにこれときちんと向き合わないというこの国の矛盾が国民的娯楽に打撃を与えるのだとしたら,こんなに悲しいことはない。
あえて同情的な見方をすれば,本件の各選手も,そういう矛盾が生んだ犠牲者の一人といえなくもない。



2014年12月 3日 (水)

つくられた偏見

12月1日に配信されている「αシノドス」に僕の原稿が載っている。紹介で書かれている通り,日本人の賭博への偏見が自由民権運動の弾圧と関わっている話などを書いている。

明治政府は,自由民権運動の対応に手を焼いていた。

この反政府運動は是が非でもおさえたいが,民主主義を求める運動を正面から弾圧するのは具合が悪い。
そこで政府は,自由民権運動の“ケンカ担当”をしていた博徒に目をつけ,ここを潰して間接的に運動を弾圧しようと目論んだ。
政府は,極端に刑が重くきわめて非人権的な内容の「賭博犯処分規則」を制定し,博徒たちを次々と捕まえ,重罰に処した。
賭博犯処分規則は,あまりにも封建的で酷い法律だったので,人権保障が弱い大日本帝国憲法のもとですら憲法違反とされ,制定からわずか5年で廃止された。
しかし,この苛烈な法律のインパクトは強烈で,当時の国民に「賭博は大悪だ」という強い忌避感を植えつけ,それは現代まで続いている。

日本人の賭博への忌避感は,明治初期の「賭博犯処分規則」によってつくられたものである。

しかし忘れてならないのは,この「賭博犯処分規則」は自由民権運動の弾圧を目的とした法律で,憲法違反とされた不当な法律だったということだ。


αシノドスには,上記の話をはじめ,賭博罪について色々と書いている。
有料マガジンなんだけど,ご興味ある方は読んでいただければと思う。


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2014年11月24日 (月)

パチンコ三店方式の問題点

弁護士ドットコムから頼まれて,パチンコ三店方式の問題点について記事を書いた。
あの記事は字数が制限されていてちょっと書き足りなかったので,ここで補足しておく。

風営法23条1項2号は,パチンコ店が賞品を買い取ることを禁止している。
これを認めると,現金の提供を認めるのと同じで,実質的に賭博になってしまうからだ。

同条の趣旨は,パチンコが実質的に賭博になることを禁じる点である。
とすれば,三店方式にしたところで,実質的に賭博になることは同じなので,三店方式は違法という結論になる可能性は十分にある。
そのような見解をとる刑法学者もいる。

三店方式は,判例はないが違法となる可能性があるというもので,グレーである。
グレーであることが原因で,大手パチンコチェーンがJリーグチームのスポンサーからおろされる,パチンコ関連企業が上場できない,などの事態が発生している。

ついでに書いておくと,古物営業法は1万円以上の取引については身元確認を要求しているが,交換所の買取では1万円以上であっても身元確認はされない。この点は完全に違法である。


パチンコのような誰もが知っている大規模産業にグレーな部分があることは,国として恥ずかしいことだ。海外への示しもつかない。
これはすみやかに,ホワイトかブラックにすべきだ。
僕個人は,ホワイトに,すなわちパチンコ換金は合法化してかわりに厳格な規制をおくべきと考えている。

理由として,まず今さら違法にすると,多数の失業者が出てしまう。
また,そもそも三店方式が導入された理由は,当時パチンコの景品買いに暴力団が盛んに介入していたところ,これを排除するためであった。
もしも三店方式(換金)を違法にすれば,再び景品買取りがアウトローのビジネスになる事態が容易に想定される。
違法にしたところで,景品を換金したいというニーズは必ず残る。そこにアウトローが触手を伸ばすのは自明の理だ。
アルカポネが莫大な利益を得たのは,禁酒法というバカな法律が施行されたからだ。
パチンコユーザーの数は多い。彼らの多くは,景品の換金を望んでいる。
今さら換金を違法にすると”日本のアルカポネ”をうみ出しかねない。


最近は,パチンコ換金を禁止しようとしている政治家もいる。
このような動きを歓迎する声も多い。
そういう声は,パチンコ自体を糾弾する声とほぼパラレルだ。
グレーでありながら大きな利益を上げているパチンコ業界は,ただでさえ批判の的になりやすい。
しかもパチンコには,北朝鮮への送金問題のように,国民を激しく憤らせるような問題もある。
パチンコ換金を合法にするのであれば,パチンコが最大限国益に資するようなシステムの構築が不可欠である。
「日本国に貢献するパチンコ」という姿勢を全面に出さない限り,国民は合法化に納得しない。
パチンコ税の導入,社会福祉活動の義務付け,会計の徹底した透明化などと引き換えに換金を合法化するのが最善だと僕は思っている。



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2014年10月 3日 (金)

雇用を奪うな

今週から臨時国会がはじまり,月内にはカジノ法案が審議入りするようだ。

まもなく,賛成派と反対派の大激論がはじまるだろう。

こういうデータを取るのは難しいかもしれないが,カジノ賛成派と反対派で,所得や資産を調べてみてはどうだろう。
一般庶民の経済状況は,まだまだ苦しい(ニュース①)(ニュース②)。
そういう苦しい庶民の中では,賛成派がきっと多いはずである。
一方,反対派の多くは,経済的に余裕のある人たちだと思われる。
所得があり資産があり,守りに入っている人たちは,カジノというリスクがありそうなものをつくってほしくないのだ。

カジノについて年齢別のアンケートを取ると,年齢が若くなるほど,賛成派が多くなる。
これも,若い人の所得や資産が少ないことが賛成意見を多くしている原因のひとつになっているはずだ。

カジノが多数の雇用を生み出し経済効果があることは,海外の例から明らかである。
たとえばシンガポールでは,2 つの IR が合計 22,000 人の直接雇用を生み出し,間接雇用も含めると約60,000 人の雇用創出効果があったと言われている。
シンガポールでは2008 年のリーマンショックによって失業率が急増し,2008 年の 2.23%から 2009 年には一気に 3.03%にまで跳ね上がった。
しかし,その失業率は IR が開業した 2010 年には,リーマンショック以前の水準に瞬く間に回復し,2010 年は2.18%,2011 年は2.03%と,ここ20 年のうちで最も低い水準にまで改善されたのである。
仕事がなかった多数の人たちが,カジノによって救われたのである。
カジノができても得するのは業者だけなどと言う人もいるが,いったい何を根拠にそんな乱暴なことが言えるのだろう。

カジノをやれば,雇用が確実に増える。
にもかかわらずそれをしないという判断は,雇用を奪うのと同じことである。
経済状況に余裕のある人たちの「何となく怖いからやめてほしい」という意見で,今現在切羽つまっている人の雇用や仕事の機会を奪うことは許されないはずだ。



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2014年9月29日 (月)

パチンコはどうなの? 

ギャンブルに詳しい弁護士として雑誌やテレビ等から質問をされるとき,必ず聞かれるのは「パチンコはどうなんですか」ということである。
この間のNHK番組のディレクターからも聞かれた。

パチンコはどうなの?という問いには,以下の3つの問いが含まれている。

①パチンコは賭博にあたるの?
②パチンコは賭博罪にあたるの?
③パチンコで捕まる可能性はあるの?


まず①の点について,パチンコは明白に賭博である。
法律上の賭博の定義は「偶然の事実に対して財物を賭けること」である。
パチンコの結果が偶然であることは言うまでもない。
パチンコは,偶然の結果に対して財産的価値のある賞品(財物)が提供されるので,賭博にあたる。

②の点は,非常に難しい。
競馬や競輪は,賭博にはあたるが特別法で認められている。
パチンコも賭博にはあたるが,風営法によって賞品を提供することは認められている。
よって,賞品を提供している限りでは,賭博罪にはあたらない。
しかしここで問題なのは,パチンコをしている人は全員が出玉を特殊景品に交換した上で換金しているのであって,実質的には現金が提供されているのと同一であるという点だ。
裁判所というと四角四面で融通が利かないというイメージを持っている人もいるかもしれないが,実はけっこう実質的な判断をすることも多い。
パチンコ店で,実質的に現金が提供されていることは明白である。現金が提供されているのならば,賭博罪である。
仮にパチンコ店が賭博罪で起訴されたならば有罪になる可能性は高い。なので「まだ判例はありませんが,もし裁判になればパチンコは賭博罪にあたるという結論になるでしょう」と回答している。

もっとも,実はこの点は三権分立が絡んだ複雑な問題も含んでいる。
三権分立のもと,有罪か無罪かを判断するのは司法機関の裁判所で,取締や逮捕をするのは行政機関の検察・警察である。
しかし,賭博というのは,そもそも風紀に対する罪であり,それについての判断は司法機関よりも行政機関になじむものである。
それゆえ,司法機関の裁判所は,行政機関の検察・警察の判断を重視する。
もっとストレートに言うと,裁判所は「検察や警察が風紀の観点から処罰したいというのなら,それを認めましょう」という判断をするということだ。
だからパチンコも,もしも検察が本気で起訴をしたら,裁判所は有罪の結論を下すであろうと考えられるのだ。


③の点は,結論として捕まる可能性はゼロである。
取締権限を有する警察は,パチンコ店はあくまでも賞品を提供しているに過ぎないので賭博罪にはあたらず,風営法の規制を遵守している以上は捕まえなくてもいい,という方針を取っている。

この点については,パチンコ業界と警察が癒着しているからだと批判する向きもあるが,そもそも現代日本では,賭博罪にあたる行為をしても,捕まらないことがほとんどだ。
たとえば,セット麻雀やゴルフでは,ほとんどの場合現金が賭けられていて,それらは明白に賭博罪にあたる行為だが,捕まることはない。
風紀罪である賭博罪は,公然性がない場合は違法性が低く,処罰の必要性も低い。
身内で金を賭けて麻雀をしたりゴルフをする分には,公然性が低いので,処罰の必要性はないと考えられる。
だから,警察は捕まえないのである。

パチンコ店は,その賭博性を非公然にする,という点は徹底している。
パチンコ店の経営者と交換所の経営者は別々である。
交換所はパチンコ店のすぐそばにあるが,その場所をパチンコ店の店員に聞いても教えてくれない。
いわゆる交換率についても,店員は絶対に教えてくれない。
パチンコ店はあくまでも賞品を提供しているだけ,それを”たまたま”そばにある古物商が買い取ってくれている,という建前を徹底的に構築している。

麻雀店の講習会で僕が必ず言うのが「賭博罪については建前が大事です。賭博をしていないという建前を徹底してくだい。看板にレートを出すなどしたら捕まりますよ」ということだ。
賭博をしているということは,公にしては絶対にならない。
賭博が罪なのでなく,それが公になるのが罪なのだ。
最近話題の「昼顔」で,吉瀬美智子が「不倫が罪なんじゃなくて,バレるのが罪なの」なんて言っていたが,それに近いものがある。自宅の寝室でするのは勘弁してほしいということだ。

話がずれてしまったが,パチンコ店はその賭博性を非公然とする努力はおこなっている(これは麻雀店も学ぶべきである)。
パチンコの存在を知らない人はいない。
しかし,パチンコの換金行為の詳細は,知らない人もけっこう多い。
僕も,パチンコをしない人から「パチンコって景品が出るだけじゃないの?2万円勝ったってどういうこと?」と聞かれることがある。
結局,パチンコが現金賭博であるシステムは,知っている人には常識だが知らない人は知らないというもので,そこに非公然性が保たれているので,セット麻雀やニギリゴルフと同様,捕まらないのである。


以上のように,パチンコは捕まる可能性がゼロの業界ではあるが,三店方式が実質的に現金の提供である以上,グレー業界のひとつであることは間違いない。
そこで生じてくる問題については,また機会があれば書きたいと思う。


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2014年9月23日 (火)

NHKがギャンブルを

27日の土曜日からNHKBSで「関口宏の”そもそも”」という番組がはじまるのだが,その1回目のテーマは「ギャンブル」である。

土曜の21時~23時というゴールデンタイムに,BSとはいえNHKでギャンブルをテーマに2時間番組をするというのだから,僕としては嬉しい出来事だ。

しかもこのブログを読んだというディレクターから連絡があって,賭博罪や風営法について色々とアドバイスをさせていただくことになった。

大変感謝していただき,僕も嬉しかった。
ただ残念ながら,ナマ壇蜜に会いたいのでノーギャラでいいからスタジオに出させてください,という希望は断られてしまった('~`;)

壇蜜以外のゲストは,桂ざこば・蛭子能収・倉田真由美という”嫌いじゃない”人たちで揃えている。
蛭子さんはアノ話をきっとしてくれるんじゃないかと期待する。
そういえばアノ話は,警察は抑止効果を上げるために本当は大物作家ISを狙っていたんだけれど,その日ISが街に出てこなかったので,格は落ちるがしゃーねーか,ってことで蛭子さんを捕まえたっていう話を聞いたことがあるのだが,本当なのだろうか。

まあそれはさておき,ゴールデンタイムにギャンブルがテーマの番組がされることなどなかなかないので,このブログの読者のような人は,見た方が良いと思う。
僕も楽しみにしている。


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2014年9月18日 (木)

これからのカジノの正義の話をしよう⑤

正義への3つの考え方とその長所・短所・カジノへのベクトルをまとめると次のようになる。


 

政治が実現すべき正義

長所

短所

カジノへのベクトル

功利主義

最大多数の最大幸福

簡潔明瞭
中立的で差別がない

個人の自由と権利がないがしろにされる場合あり

是となりやすい

自由主義

個人の自由と権利

功利主義の欠点を補完しつつ,明瞭性と中立性も確保

格差と不平等が拡大

合意さえあれば何でも許されるのか

是となりやすい

美徳主義

美徳や善良な生活

個々のケースに柔軟に対応できる

曖昧
価値観の強制につながる

非となりやすい



最大多数の最大幸福や個人の自由と権利を重視すると,カジノは是となりやすい。
海外諸国での先例からカジノが雇用と税収の大きな増加を生むことは明白である(功利主義)。
また,カジノで遊ぶ自由もそれを経営する自由も個人の権利のひとつである(自由主義)。

一方,美徳や善良な生活を重視すると,非となりやすい。
カジノ(ギャンブル)を悪徳であると考えている人は多いだろう。

反対派が最近上梓した「カジノ狂騒曲ー日本に賭博場はいらない」という本の中にも

「カジノは最悪の賭博場であり,人間の弱みにつけこんで,胴元が巨額の利益をあげる『略奪のビジネス』です」
「カジノなどという,まがまがしい賭博を許さないという国民の良識がさらに高まれば,このたくらみを打ち破る可能性は十分あります」
「そもそも『虚業』でしかない博打に収入を頼ろうとすること自体(中略)人倫にもとる道だといわなければなりません」
といった,ギャンブル=悪徳論の記述がこれでもかというくらい出てくる。

このような美徳主義に基づく考えに賛同する人は多いかもしれないが,実はこれには大きな弱点がある。

ひと言でいうと,それは”古い考え方”なのだ。

古代社会や封建社会の政治は,美徳主義に基づきおこなわれていた。
何が善良で何が高尚かという価値観が前提となり,その価値観を実現するための政治がされていた。

たとえば,悪法として名高い江戸時代の「生類あわれみの令」

これも,動物虐待は悪徳であるという価値観だけを強調してつくられ(美徳主義),社会的コストの計算(功利主義)や刑罰の妥当性(自由主義)を何ら考慮していない法律なので,今では悪法とよばれているのである。

近代になると,美徳主義の曖昧さや権威的なところへの批判が高まり,論理的でシャープな新しい思想として功利主義や自由主義が登場し,今ではこちらの方が優勢だ。
まあ乱暴に麻雀に例えるなら,曖昧なオカルト打法が衰退してデジタル打法が主流になった,ということである。

美徳主義は,古い思想なのである。

カジノは悪徳なのでつくるべきではないという意見に対しては,悪徳か美徳かという曖昧な議論で政治的判断をすべきでない,という現代的思考による反論が効果的だろう。
とくに,カジノには大きな経済効果がある。
ある試算だと,70万人の雇用が見込まれるのだという。
それは,今現在失業していていたり低収入で苦しんでいる人にとっては大きな希望となるだろう。
とすれば,カジノは悪徳なのでやらないという判断は,美徳についての多数派の価値観によって弱者の仕事を奪うことにつながるのだ。
この理屈も,反論としては効果的だろう。


現代の美徳主義者は,ともすれば,女=結婚という古い価値観で凝り固まったセクハラ議員のようなことになる。
これはオカルト打法のようなもので,現代人の感覚では古くて受け入れがたい側面も強い。

賢明な反対派は,このことも認識しているようだ。
カジノ=悪徳論だけでは限界があることを分かっているようである。

なので,前述の「カジノ狂騒曲」の中にも,カジノをしたとしても成功するかどうか保障はない,ギャンブル依存症による社会的コストは大きい,など功利主義の議論での反対意見も強く書いている。

賛成派は,この議論では絶対に負けてはならない。
カジノがつくられた世界120か国以上で,その国で最初につくられたカジノが失敗した例はひとつもない。
依存症による社会的コストは,海外の調査により結果が出ている。それはカジノの経済効果を上回るものではない。

功利主義の土俵で賛成派が負けることはないし,負けてはならない。
そして,勝つにしても一分の隙なく完璧に勝つことが必要だろう。

結論としては,

①美徳主義の土俵では,その前提がそもそも古い考えであることを指摘して防御
②功利主義や自由主義の土俵では徹底的に攻めて勝つ

という議論の進め方が,賛成派にとって一番いいだろう。

配牌が悪い局は上手に守り,配牌が良い局は隙なく徹底的に攻めるべしということである。




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2014年9月 1日 (月)

これからのカジノの正義の話をしよう④

カジノに反対する人は,こういう意見が多い。

この人によれば,カジノに反対する理由は「博打というのがどうも好きになれないから」であり,「カジノで外国人から金を巻き上げようとするのはおもてなしの心とは真逆」なのだという。

まさに美徳主義に基づく意見であるが,このブログの読者であれば,このような意見に違和感を持つ人も多いだろう。
その違和感は,そのまま美徳主義に対する批判となる。

「好きになれない」というのは,その人の好みの問題である。
「巻き上げる」というのもたぶんに主観に基づく表現であり,高級車やブランドバッグを買う大金は巻き上げられたものではなく,カジノで使う金は巻き上げられたものだ,というのは「ギャンブル=悪徳」という価値観が前提になっている。

好みや価値観は,人それぞれである。
特定の価値観を他人に押し付けるのは望ましくない。とくに,多数派が少数派を強制するのはよくない。
それゆえ,現代の法と政治の基本的スタンスは,国家権力は国民に特定の価値観をj強制すべきではないとしている。

しかし,正義は美徳や善良な生活を促進すべき(美徳主義)とすれば,「美徳」「善良」の具体的な中身を国家が決定し,それを国民に強制することになる。

功利主義や自由主義は,この点を激しく批判する。

功利主義は,快楽を与えるものである以上モーツアルトもAKBも”政治の上では”同等である,とする考え方である。
その根底には,何が上質で何が高尚だ,という話には少なくとも国家権力が立ち入るべきではないという思想がある。
この厳格な中立性が,功利主義の大きな魅力である。

自由主義のキモは,「個人の自由な意思決定」である。
これは言い換えると,「強制をされない権利」である。
美徳や善良という曖昧な概念について,少数派が多数派から”権力的に”強制されるのは許されないとする考え方であり,これが自由主義の魅力のひとつである。

「美徳」「善良」の具体的中身について,全員が一致することなどあり得ない。
にもかかわらず、これを政治に反映させようとすれば,それは必然的に多数派の価値観を少数派に”権力的に”押し付けることになる。
これが美徳主義の弱点である。

たしかに日本では「ギャンブル=悪徳」という価値観が根強く,これが多数派かもしれない。
しかし私のように,ギャンブルは大人のレジャーのひとつで別に悪徳ではない,という価値観を持っている人も相当数いる。
そういう少数派の私たちは,白眼視されるのがやむを得ないとしても,少なくとも多数派の価値観を権力的に押し付けられるいわれはないのである。
功利主義によれば国家権力は価値観については中立であるべきとされるし,自由主義によれば少数派に価値観を強制するのは許されないとされるのである。

ギャンブルは悪徳だ,というのを全面に押し出してくる意見に対して,いや別に悪徳ではない,と反論しても水かけ論の無駄な議論になってしまう。
そういう意見には
①美徳か悪徳かという曖昧な基準を政治に持ち込むべきではない(功利主義)
②美徳か悪徳かという問題で,多数派が少数派を権力的に抑圧してはならない(自由主義)と反論していくのが効果的である。


このシリーズ,だいぶ長くなってしまっていて辟易している方もおられるかもしれないが,次回にもう1回まとめを書くのをお許しいただきたいm(__)m

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2014年8月28日 (木)

これからのカジノの正義の話をしよう③

正義は個人の自由と権利を尊重すべきとする考え方(自由主義)は,契約・合意・自己決定権といったものを最重視する。

この思想に対しては,合意さえあれば何でも許されるのか,という反論がある。

2001年,ドイツのマイヴェスという男が,殺されて食べられることを希望する者を募集するインターネット広告を出した。
ブランデスという男がその広告に応募してきた。
彼はコーヒーを飲みながらマイヴェスの話をあらためて聞き,快諾した。
マイヴェスはそのままブランデスを殺し,死体を綺麗に切り分け,ビニール袋に入れて冷凍庫に保存した。
逮捕されたとき,マイヴェスはオリーブオイルとニンニクで調理したその”ご馳走”を既に20キロ近く食べていた・・

この事件,自由主義を貫徹する限り,マイヴェスを処罰することはできない。
マイヴェスの行為は,彼とブランデスの”自由意志による契約”に基づく行為である以上,ブランデスの権利を侵害しているとはいえないからである。
しかし,ドイツの裁判所は,マイヴェスに対して懲役8年6か月という重い刑を課した。

マイヴェスを無罪とすべきだ,という人はあまりいないだろう。
合意があればいかなることでも許される,と考えるわけにはいかない場面もあり,これが自由主義の欠点である。


③正義は美徳や善良な生活を促進すべきとする考え方(以下「美徳主義」という)からは,マイヴェスの行為は当然許されない。

この考え方によれば,多数人の快楽になるものであっても(功利主義),契約や合意に基づくものであっても(自由主義),悪徳であったり邪悪であったりするものは政治が認めるべきではないのである。

人を猛獣の餌にして見世物にすることや,人が人を食べる行為は,悪徳であり邪悪であるので政治的に認められない,ということになる。

そしてこの考え方のもとでは,カジノの雲行きが怪しくなる。

いかに経済効果があっても(功利主義),ギャンブルが個人の合意に基づく行為であっても(自由主義),そもそもギャンブルは悪徳である。
カジノはギャンブルという悪徳で人々の金を巻き上げる邪悪な施設である。
そのような邪悪な施設は日本にいらない。

美徳主義のもとでは,このような意見が多数を占めると考えられ,賛成派・推進派にとって大きなハードルとなるであろう。

これへの対策として,「いやいや,そんなに悪いことではないんですよ」という方向で攻めても納得させることは非常に難しい。

悪徳か美徳か,という問題には理屈ではないことが占める部分も大きい。
「生理的にダメ」と言われてしまったらいくら金を使おうが優しくしようが無駄であることと同じく,生理的にカジノが邪悪だと思っている人に信念を翻してもらおうと各種資料を持ち出してプレゼンしても,ほとんど功を奏さないであろう。

それでは,賛成派をどう論戦していけばいいか。

これは,功利主義や自由主義の立場から美徳主義に対してされる批判がヒントになる。

続きはまた今度。


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2014年8月23日 (土)

これからのカジノの正義の話をしよう②

功利主義の魅力は,簡潔明瞭性と中立性である。

一方,この思想の最大の弱みは,個人の自由と権利がないがしろにされる点だ。

②正義は個人の自由と権利を尊重すべきだとする考え方(以下「自由主義」という)は,功利主義は個人の自由と権利を容易に侵害するものであると批判する。

たとえば,古代ローマのコロセウムでは,キリスト教徒をライオンに投げ与え,庶民の娯楽としていた。

これは許されない行為ではあるが,功利主義のもとでは非難の根拠が乏しい。

犠牲になる1人のキリスト教徒が耐え難い苦痛にさらされるとしても,それによって大勢の観客が快楽を得るのだとしたら,社会全体としては快楽が苦痛を上回るとも考えられる。
しかし,このような考えで残虐なショーを肯定するのが許されるはずはなく,これが功利主義の弱点である。


自由主義によれば,コロセウムのショーはキリスト教徒の自由と権利を激しく侵害するものなので,当然許されないことになる。

たとえ多数人の快楽になるものであっても,個人の自由と権利を侵害することは許されない,とする考えである。


自由主義が重視するのは,合意に基づく契約だ。

ショーが許されないのは,キリスト教徒がライオンに与えられることについて全く同意していないからである。
逆にいうと,腕自慢の格闘家が自ら猛獣と戦うことを望むのであれば,ショーは許されることになる。

自由主義は,契約を基礎とする自由な市場を支持し,政府による規制を非難する。
規制は,個人の自由や権利を制約するものだからだ。

自由主義は,いわゆる道徳的法律を非難する。
たとえば売春は,合意に基づく契約がある限り,法律で規制すべきではない。
国家が個人に道徳を強制すべきではないとする考え方である。


このような自由主義も,カジノとの相性は良い。

カジノでのギャンブルは,合意に基づいてなされるものである。
そうである以上,国家により規制されるべきではない。

カジノの最大のデメリットはギャンブル依存症の増加であるが,依存症者はギャンブルを強制されているわけではない。彼らはみずからの意思でギャンブルをしている(ギャンブル依存症は治療を要する病気の一種であるが,病気になる第一歩について,彼らは自分の意思で踏み出している)。
とすれば,ライオンに投げられるキリスト教徒と同列には考えられない。

自由を至高とする考え方によっても,カジノは是とする方向に傾きやすいのである。

なお,自由主義に対する代表的な反論は,以下のようなものだ。

すなわち,自由のみを強調すぎると,金持ちはどんどん金持ちになり貧乏人はどんどん貧乏人なる。格差と不平等が無限に拡大する。

このような考えから,正義を自由な契約と結びつける考え方のなかにも,所得の公平な分配やアファーマティブアクション(社会的弱者を対象とする是正措置。たとえば,入学試験でマイノリティの優先枠を設けること)など,平等の推進を積極的に考慮していく考え方もある。

もっとも,カジノについていえば,平等を重視する考え方からも是となりやすい。

カジノは,大量の雇用を創出する。
一方,カジノで金を落とすのは,基本的に金持ちである。
カジノには,所得の再分配という側面も強いのである。


以上のとおり,正義とは自由と権利を尊重すべきとする考え方からも,カジノは是とする方向にいきやすい。

一方,③正義は美徳や善良な生活を促進すべきとする考え方からは,カジノは否定されることが多いだろう。

続きは,また今度。


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