津田岳宏の事務所

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法律

2015年12月 9日 (水)

中韓の賭博罪

韓国人プロ野球選手がマカオでカジノに興じた行為を”海外遠征賭博罪”にあたるとして捜査されているというニュースが最近話題になっている。

韓国の賭博罪は,いわゆる”属人主義”を採用している。

属人主義というのは,当該国民がその行為を犯した場合,たとえ海外であっても処罰するという主義だ。
日本の刑法でも,殺人・窃盗・傷害・強姦などには属人主義が採用されており,これらの罪を犯せば,それが海外でも日本の刑法で処罰される。

しかし,日本刑法は,賭博罪については属人主義を採用していない。
日本人は,海外では,カジノなどの合法賭博はもちろんたとえ違法な賭博をしたとしても,日本の刑法では処罰されない(ただし違法賭博は当該国の法律で処罰される可能性はある)。
賭博罪は風紀に対する罪であるところ,海外で日本人がたとえ違法な賭博をしたところで国内の風紀は乱れないので処罰する必要はない,という考え方だ。
同様の考え方で,わいせつ物頒布なども,海外でしても日本刑法では処罰されない。
なお余談であるが,同じ風紀罪でも,覚せい剤や大麻には,国外犯の処罰規定がある。法律はギャンブルよりもクスリに厳しく,これは他の国でもおおむね同様である。

韓国の刑法は,賭博罪についても”属人主義”を採用しており,それが適用され当該選手は捜査されているらしい。
ただ,この事件をもって,韓国の賭博罪は日本よりも厳しいという印象を受けている人もいるようだが,私は格別そう思わない。
カジノに興じる韓国人など山ほどいるわけで,彼らはみな検挙されていない。
今回の件は続報を見ると,当該選手が暴力団と関わっていたことが疑われているようで,結局のところ理由は”それ”だ。
事実上ほとんど捕まらないが反社会勢力との関わりが疑われてるときのみ捜査の対象になるというのは日本の賭博罪と同様である。

また韓国の賭博罪は,免責規定である「一時の娯楽」について,当事者の財産や社会的地位を考慮して総合的に考慮するというのであり,とすれば,金員は1円でも一時の娯楽にあたらないという頑なな判例理論がいまだ幅をきかせる日本よりも,その点は現実的である。
結局,日本も韓国も,現実離れした賭博罪の規定が残存していてそれを当局が便宜的につかっているという点は同じであり,状況は全く同じである。

中国の賭博罪がどうなっているかを知っている人も少ないと思うので,ついでに書いておく。
中国というと人権無視で厳罰がくだされる,というイメージを持っている人もいるかもしれないが,こと賭博罪についていえば,日本より相当に人権的で現実的だ。
中国の賭博罪は下記のとおり。


中国刑法303条【賭博罪、賭博上開設罪】

利を目的とし、群を集めて博させ、開設し、又は博を生業とする者は、3 年以下の有期役、拘役又は管制にし、金を科する。事案が重大であれば、3年以上10年以下の有期懲役とし、罰金を併科する。

中国刑法には,単純賭博罪はない。
友達同士の賭け麻雀などはいっさい処罰されない。
中国では,「営利目的で」「群集を集め」賭博をさせたり賭博場を開設する行為のみが処罰される。
なお「賭博を生業」というのは,要するに職業的に賭博をするということであり,これは「営利目的」「群集を集め」とかなりかぶる要件である。

要するに中国では,商業目的で大がかりに目立ってされる違法賭博以外は検挙しないとしているのである。
賭博は風紀に対する罪であり,ささやかにされる分に問題ないが,公然と違法賭博を商売にされては風紀が乱れる,という考え方である。
この点は日本でも,実際の賭博罪の運用(当局の対応)は上記の考え方でなされているのであるが,それをきちんと条文化している点で,中国は日本よりも進取的かつ現実的である。
日本ではときに,平和に遊んでいる人が”たまたま”逮捕されるという不合理なこともあるが,中国はそのような不合理は起きる余地がない。日本よりも,よほど人権的である。


こと賭博罪についていえば,日本は中国よりも,非人権的かつ非現実的である。遅れている。
イギリスほど進取的になるのが無理なのであれば,せめて中国のレベルまではまともな賭博罪にできないものか。

2015年5月29日 (金)

弁護士が萎縮させてどうする~めちゃイケ賭博罪疑惑の潔白性~

賭博罪の要件は,司法試験のひっかけ問題にもなるくらいで,ややこしい。
弁護士でも誤解している者がいる。先日,こんな記事を発見した。

<弁護士が気がついた>5月9日「めちゃイケ」は「賭博罪」と「遺失物等横領罪」に該当する? 

ここでは,「めちゃイケ」のコーナー「持ってけ100万円」が賭博罪になるおそれがあるなどと指摘されている。
しかし,この「持ってけ100万円」は

通行人→100万円取得の可能性はあるが,金を失う可能性はない
番組→100万円を失う(矢部にあげる)可能性はあるが,金を得る可能性はない

というスキームだ。

だとすれば,矢部については100万円を得る可能性も失う可能性もあるとしても,参加者相互の間に危険負担の関係は成立しないので,賭博罪は成立しない。

賭博罪の成立には,参加者相互に「リスク=リターン」の相互的危険負担の関係が必要である(当ブログ相互的得失参照)。

あくまでも「参加者相互に」が要件であり,「参加者ひとりに」ではない。
誰かと誰かが互いにリスクを負いリターンの可能性ある勝負をしてはじめて法律上の「賭博」になる。
この点,東京高裁昭和32年12月25日判例は「賭博とは、二人以上の者が相互に財物を賭け偶然の勝負によりその得喪を決める行為である」「勝負の偶然性は賭博に参加する当事者全員について存在しなければならないものであり、参加者のうちに偶然性のない者の存する場合は全面的に賭博行為は成立しないものといわねばならない」と明確に判示している。

「持ってけ100万円」では,通行人は得るだけ,番組は失うだけ,なので,互いにリスクとリターンのある勝負をしているとはいえず,相互的危険負担の関係が成立せず,賭博罪が成立する余地はない。

「お前ら今から相撲を取れ。勝った方に俺が1万円やる」

この事例に賭博罪が成立しないことは,過去の記事で書いた。
これをさらにひねり

「お前,あいつと相撲を取れ。勝ったら俺が1万円やる。でも,負けたら1万円をあいつにやれよ」

この事例でも,相互的危険負担にはないので,賭博罪にはならない。
「持ってけ100万円」は,まさにこの事例である。




賭博罪への誤解よりも気になったのは,「可能性がある」などという曖昧な指摘で,表現の自由を萎縮させるようなことが書かれていた点だ。
曖昧な書き方をしたのは自信がなかったからなのだろう(実際誤解している)が,自信がないのであれば,表現の自由を萎縮させるような指摘をするなど言語道断だ。

憲法の中でも,表現の自由は最重要の権利とされている。
これはひとえに,表現の自由が国家権力により侵害されやすい権利だからだ。
権力を握った者にとって,表現の自由ほど,うっとしいものはない。
ペンは剣よりも強し,権力者というのは,表現の自由が自らを脅かすものであることをよく知っている。
だから彼らは,隙あらばその自由を規制しようとする。

自由を規制しようとする権力側は,国民に対し「これはダメだ」とまで思わせる必要はない。
「これは危ないんじゃないか」と思わせるだけで十分だ。
誰だって捕まりたくはない。危ない橋は渡りたくない。
実際に違法にしなくても,それを「危ない橋」に見せることができれば,目的は十分達せられる。

これは危ない,と思わせて,実際は合法な行為までさせないようにする効果を萎縮効果と呼ぶ。
表現の自由は,とくに萎縮効果を受けやすい権利である。
それは,最近のテレビを見ていても顕著である。
明らかに過度な規制(ないし自主規制)がかかっているように見える。
法律的には,もっと自由にやっても全く問題ないはずだ。
風紀罪(賭博罪は風紀罪のひとつ)を専門とする弁護士として言わせてもらえば,「持ってけ100万円」なんて,理論を云々するまでもなく,直感的に大丈夫である。
あの程度のことで,風紀罪に違反するとして表現の自由が規制されるのであれば,わが国は北〇鮮のことを全く笑えない。

表現の自由は,民主主義社会では,最重要の権利とされている。
民主主義は,皆が遠慮せずに言いたいことを言って主張したいことを主張するという前提があってはじめて成立する。
憲法学上,表現の自由はきわめて厚く保護すべきものとされていて,そこには,「やり過ぎの表現をする自由」も含まれている。
アメリカの判例理論に,保護に値する表現のみ保護するだけはいまだ不十分である,というのがある。

テレビ等のマスコミの表現の自由については,それが一般人の人権との間では,相当程度規制されるのはやむを得ない。
一般人との関係では,マスコミは強者だからだ。
しかし,風紀を名目に表現の自由を規制しようする国家との関係でいえば,マスコミとて弱者である。
そこでは,マスコミの表現の自由は最大限に保障されるべきであるし,風紀との関係で「多少やり過ぎ」の表現も,許容されるべきである。

「風紀」というのは,曖昧な概念で,いかようにも広く捉えられる概念である。
「風紀に反する」という理屈は,自由を規制したい側にとっては,使い勝手が非常にいい。
それゆえ,風紀を根拠に表現の自由が過度に規制されると,民主主義はあっさり崩壊するのだ。
太平洋戦争末期の日本はまさにそういう状態であった。
風紀罪に反することを恐れ,萎縮して,自由な表現がなされないというのは,非常に危険な事態なのである。




弁護士というのは,別に高尚な仕事ではない。いやむしろ,他人様のもめ事に首を突っ込んで上前ハネる稼業だと思えば,仕事自体に品はない。
それでも世間から「先生」などと尊称を付される価値があるのだとすれば,それは,法律の専門家という立場から,人々を萎縮から解放させることができる点に尽きるのではないか。

法律は難解である。
一般の人からすれば,何が合法で何が違法なのかよく分からない。
必然,違法っぽい行為には,それが実際に合法であっても手を出せない。
善良な一般人は皆,権力がつくった法律に萎縮している。

弁護士は法律を知っている。
合法と違法の境目に詳しい。
だからこそ,弁護士は,萎縮している一般の人たちに,「これなら大丈夫ですよ」と教えることができる。
その人の自由の領域を広げることができる。
無用な萎縮から解放することができる。
弁護士の意義は,そこにあるのではないか。

弁護士の法律知識は,人々を萎縮させるために使われるべきではない。
それは,人々を解放するために使われるべきである。


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2015年5月 9日 (土)

外には見せるな、中は隠すな

賭博罪は風紀に対する罪である。
これを野放しにすると風紀が乱れるから,というのが賭博罪の基本的存在根拠だ。

風紀が乱れているかどうかの判断権は,日本では伝統的に,警察や検察などの行政(以下,まとめて「当局」という)に委ねられてきた。
現在でも,賭博罪の扱いについては,当局に大きな権限がある。
ささいな賭博を執拗に検挙すると逆に国民の反発を買う(から注意せよ),ということは現役検察官が書いた捜査マニュアル本に書かれており,当局は,全ての賭博を検挙するわけではない。
検挙する必要あり,と判断した賭博だけが検挙される。
そして,当局が処罰の必要性ありとして検挙して起訴すれば,裁判所はその判断を重視し,そのまま有罪判決を下す。
以上のプロセスのもと,処罰されるかどうかの判断権は,実質的には,司法ではなく行政が持っている。
これは,いわゆる「法の支配」の観点からは問題ありともいえるのであるが,適切な法の運用という観点からは,具体的な風紀の乱れの判断は司法よりも行政がするのが適しているので,このような扱いは,今後もずっと続くであろう。

よって,取り締まられる側からすれば,風紀罪についての当局のスタンスを知ることがとても重要だ。
このスタンスがよくあらわれている条文があるので,今日はそれを紹介する。


風営法施行規則 第8条

法第四条第ニ項第一号の国家公安委員会規則で定める技術上の基準は、次の表の上欄に掲げる風俗営業の種別の区分に応じ、それぞれ同表の下欄に定めるとおりとする。
風俗営業の種別 構造及び設備の技術上の基準
法第二条第一項第一号又は第三号に掲げる営業 一 客室の床面積は、一室の床面積を六十六平方メートル以上とし、ダンスをさせるための客室の部分の床面積をおおむねその五分の一以上とすること。
二 客室の内部が当該営業所の外部から容易に見通すことができないものであること。
三 客室の内部に見通しを妨げる設備を設けないこと。
四 善良の風俗又は清浄な風俗環境を害するおそれのある写真、広告物、装飾その他の設備を設けないこと。
五 客室の出入口に施錠の設備を設けないこと。ただし、営業所外に直接通ずる客室の出入口については、この限りでない。
六 第二十九条に定めるところにより計つた営業所内の照度が五ルクス以下とならないように維持されるため必要な構造又は設備を有すること。
七 第三十一条に定めるところにより計つた騒音又は振動の数値が法第十五条の規定に基づく条例で定める数値に満たないように維持されるため必要な構造又は設備を有すること。
この条文は,キャバクラなどの設備基準を定めた条文である。
注目してほしいのは

二 客室の内部が当該営業所の外部から容易に見通すことができないものであること。
三 客室の内部に見通しを妨げる設備を設けないこと。

の部分だ。
読んで分かるとおり,法は,内部を外部から容易に見通すことができないことを要求した上で,内部には見通しを妨げる設備を設けるな,と要求している。

一見すると,矛盾しているようにも思える規定である。
見せたらダメなの?見せるべきなの?どっちなの?と言いたくなる。

しかし実は,相反するように見えるこの条文の内容に,風営業者及び風紀に対する当局の要求が詰まっている。

もう一度よく読んでほしい。

法はまず,「外部から」見えなくすることを求めている。

その上で「内部に」,すなわち中に入った人にはよく見えるように,と求めている。


外から見えないことを求めているのは,中の空気を漏らさないためだ。

法律及び当局の基本的考えは,「行為そのもの」よりも「行為に伴う空気が外に漏れること」により風紀が乱れる,というものである。

僕がブログや講演などで口酸っぱく言っている「公然としてはダメ」ということだ。
実際の話,「賭博をする」だけなら,当局は(もちろん違法行為ではあるが)そこまで厳しく目くじらは立てない。
「賭博を『公然と』『おおっぴらに』『外から分かるかたちで』する」ことにより,当局の見過ごせない事態になるのである。
賭博をしていることが外から見ても明らかになることによって,賭博をしているという空気が外に漏れて風紀が乱れる,という考え方なのである。

「外には見せるな」

これが,風紀を乱しかねないものに対して当局が要求している第一の事柄だ。


次に法は「内部はよく見せること」を要求している。
外からはよく見えないようにした上で,中に入った人には内部をよく見えるようにしろ,と要求している。

これは,外からよく見えないにもかかわらず自発的に内部に入ってくる人に対しては風紀上の保護を考えなくてもいいし(法はそういう人は仕方がない,という考え方である・笑),外には見せない,というのをいいことに内部で悪質な違法行為がおこなわれることを防止するためだ。
さらにはもっと実質的な大きな理由として,警察が調査のため中に入ったときによく見えるようにしておくため,というのもある。
あなたたちは風紀を乱しかねないのだから警察のために調査しやすくしておきなさい,と法が求めているのである。

「中は隠すな」

これも,当局が要求している大切な事柄だ。


外には見せるな,中は隠すな。

一見矛盾しているようにも見えるこの要請が,風紀に対する当局のスタンスのキモである。
関係者は,覚えておいて損はない。


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2015年5月 8日 (金)

放送もよろしくお願いしますm(_ _)m

今日アップしたブログは,既にツイート数が100超えで,たくさんの人に読んでいただいているようだ。
ありがとうございます。
それだけ皆が気にしていた話題だったということなのだろう。
やはり,賭博罪の”萎縮的効果”は恐ろしい。
不当なり。。

一昨日したニコ生配信でも,他では絶対聞けない賭博罪に関わる話(警察のスタンス等)をてんこ盛りやっています。
興味ある方は,是非ご覧下さいm(_ _)m

賞金付ゲーム大会と賭博罪

賞金付ゲーム大会,というと賭博罪との関係を心配する人も多い。
その手の相談を僕もよく受ける。

世間には,勝負があって金が動いて賞金が出るのであれば,賭博罪になるのではと考える人も多い。
しかしこれは大きな誤解である。

賭博罪は,当該行為の当事者の財物について「相互的得失の関係」の成立が要件となっている。
「相互的得失」とは,勝者が財産を得て,敗者が財産を失い,さらに勝者が得る財産と敗者が失う財産が「相互的な」関係であること,を意味する。

勝者の得る財産は,敗者が負担する財産とイコールでなければならない。
勝利によるリターンが,敗北によるリスクとイコールでなければならない。
参加費が,賭け金とみなせなければならない。
なお,勝負のリスクは参加者各自が負担せねばならない。一方的な危険負担があるだけでは,賭博罪は成立しない。

「甲と乙が相撲を取り,丙が金を賭け,勝った方に1000円をやることにした。甲が勝ったので,丙は甲に1000円を支払った。各自の刑事責任を述べよ」

この問題,正解は,全員無罪である。
このあたりは,過去の記事でも書いたとおりだ。

勝負について賞金が出る場合であっても,「賞金=賭け金」「リターン=リスク」のイコール関係が成立しない場合は「相互的」と言えないので賭博罪は成立しない。
たとえば将棋で,「アマチュア竜王戦」という大会がある。
同大会は優勝賞金として50万円を提供する一方,参加者から2000円程度の参加費を徴収している。
しかし,同大会が賭博罪に問疑されたことはない。
同大会においては,参加者の払う参加費は会場使用料に充当されており,賞金は別途スポンサーが提供している。
よって「参加費=賭け金=賞金」という関係が成立せず,相互的得失の要件を欠くので,賭博罪が成立する余地はない。

ポイントは,「
参加費は会場使用料に充当される」「賞金はスポンサーが提供する」という点である。
もしも参加費が賞金に充当されるのであれば「賞金=賭け金」の関係が成立する余地が出るので,賭博罪(ないし富くじ罪)のおそれが出る。
賞金を出すスポンサーがいる,という点が大事である。


相互的得失が成立しないスキームさえつくれば,ゲームの性質は関係ない。偶然のみに左右されるゲームに関し賞金を出しても,賭博罪にはならない。
「お前ら今からジャンケンをしろ。勝った方に俺が1000円をやる」
こういうことをしても,賭博罪にはならない。

もっとも,対象となるゲームの社会的イメージが,当局からの疑いの程度に影響を及ぼすことはあるだろう。
賭博と結びつけられやすいゲームが対象になっていれば,やはり警戒はされやすくなる。
たとえば,「賞金付手本引き大会」というのを開催すれば,しっかりしたスキームを組んだとしても,当局から
問疑されることはありそうだ。
その意味で,当該ゲームの性質や社会的イメージはやはり重要といえる。
麻雀についても,イメージアップの活動は大事である。


現行刑法には賭博罪がある。
賭博罪が成立する行為は,違法行為である。
が,賭博罪が成立する範囲は,皆が思っているほど広範ではない。
賞金が付くからといって,ただちに賭博罪が成立するわけではない。
スキームさえしっかりつくれば,賞金付大会はいくらでも開催できるのだ。

しかし,一般の人は法律に詳しくないので,どうしても”萎縮”してしまう。
「賭博罪」という言葉自体に強い負のイメージがあるので,なおさら強く萎縮しがちだ。
結果,面白いコンテンツが世に出るのが阻害される。

賞金が出た方が大会が盛り上がるのは当然だ。
その盛り上がりは,お祭りの高揚と同じで,不健全なものではない。
賭博罪には,健全なお祭りが開催されるのを阻害する”萎縮的効果”も強く,その点も不当といえる。


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2015年2月24日 (火)

賭博場開張図利罪の要件ー主宰生

昨日の続き。
賭博場開張図利罪についても,ちゃんと理解している人は少ない。

こんなケース。
AとBが将棋をして,負けた方が勝った方に1万円をやるという約束をした。Aが勝ってBから1万円をもらった。

このケースなら,勝負をしているAとBに相互的得失の関係が成立するので,賭博罪が成立する。

では,1万円を賭けた勝負をするから使用料500円で場所と道具を貸してくれと頼まれて貸した将棋クラブ店主Cの罪責はどうなるか?
この場合,Cに賭博場開張図利罪は成立しない。
Cは罪を問われるとしても,賭博罪のほう助にとどまる。

判例上,単に賭博の道具や場所を貸しただけでは,賭博場開張図利罪は成立しない。
同罪の成立には,それを超えて「賭博を主宰した」といえる事実が必要である。
そのためには,当該賭博を管理支配したと認められるだけの事実がいる。
上記のCは,単に場所を貸しただけで,AとBの勝負を管理支配したとは言えないので,賭博場開張図利罪は成立しない。
同じ理由で,いわゆるセット雀荘に同罪が成立することもない。
客が賭け麻雀をしているのを知っていてそれを黙認していたとしても,せいぜい賭博罪のほう助が成立するくらいで,賭博場開張図利罪の心配はない。


つい先日,違法パチスロ店が検挙されたとき,容疑の罪は賭博場開張図利罪ではなく常習賭博罪だった。
いわゆるゲーム喫茶とか違法パチスロ店が検挙されるときは,常習賭博でされることが多い。
これについてネット上で「なぜ賭博場開張図利じゃないの?」とコメントがされているのを見かけることがあるが,これは,ゲーム店型賭博場の場合,「主宰性」の立証が若干面倒だからである。

ゲーム店型賭博場の被疑者は,「私は客に機械を貸していただけだから主宰性がない」という主張,つまり上記Cの立場と同じ立場であるという主張をして否認することが可能なのだ(まあ賭博罪に詳しい弁護士が付かない限りこんな否認はしないであろうが)。
この否認はおそらく裁判所では通らないであろうが,少なくとも,当該被疑者の主宰性を検察側が詳細に立証する必要は生じる。
これはなかなか面倒であるし,常習賭博罪で挙げたところで最終的な量刑は変わらないので,立証が容易な常習賭博罪で検挙されるのである。
ゲーム店型賭博の場合,客の勝ち負けがそのまま店の勝ち負けになるので,店に常習賭博罪が成立するのは明白である。


フリー雀荘の場合は,勝負の結果に関わらず一定のゲーム代を徴収するので,店が客と賭けているとはいえない。
よって,ゲーム喫茶とは異なり,店を常習賭博で挙げることはできない。
そこで,フリー雀荘が検挙されるときは,賭博場開張図利罪で挙げられる。
実はこのとき,主宰性がないという主張が通れば,店は無罪になるのである。

しかし現実には,この主張は難しい。
裁判所は
①レートを店が決めている
②レートごとにゲーム代が異なる
③レートとルールを店が客に説明している
④店が預かり金を徴収している
⑤店がトップ賞を徴収している

などを根拠に,フリー雀荘が賭け麻雀を管理支配していて主宰的地位にあると認定する。

逆に言うと,上記の点が弱くなっていけば,主宰性があると言われ難くなるということだ。
たとえば,④を強制でなく任意にする,⑤をやめるなどすれば,主宰性は弱まる。
②を同一にするのはなかなか難しいかもしれないが,もし実現すれば,主宰性は弱まる。
③については,少なくとも備え付けのルール表にレートを書くのは絶対にやめるべきだ。

もちろん,僕の提案は,経営上はなかなか困難であることは十分承知している。
しかし経営者としては,賭博場開張図利罪の成立に「主宰性」が要件であることを知り,その上で,「客が勝手に賭けているだけで,私たちは場所を貸しているだけです。管理支配はしていません」と主張できるような建前をできるだけつくっていこうという姿勢を示すことは大事だ。

賭博罪は風紀に対する罪。
これにかかわる商売をする者は,なるべく風紀を乱さないでおこう,とする姿勢がなにより肝要なのだ。



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2015年2月23日 (月)

賭博罪の要件ー相互的得失

「賭博」という言葉の意味が分からない人はいない。
しかし,刑法上の賭博罪の要件を正確に理解している人は非常に少ない。

たとえば,こんな問題。

「Aが,BとCに相撲を取らせて勝った方に1万円をやると約束した。相撲をしてBが勝ったので,AはBに1万円を支払った。A・B・Cの罪責を述べよ」

これは賭博罪を題材にした昔の司法試験の問題であるが,いわゆる引っかけ問題のひとつである。
正解は,3人とも何らの罪責に問われない。

勝負があってお金が動けば,全て賭博罪になるわけではない。
参加者各自に失うリスクと得られる期待」があって,はじめて賭博罪が成立する。
また,このリスクと期待は相互的な関係であることが必要である。
これが,相互的得失の要件である。

上記の問題だと,BとCは,1万円を得られる期待はあるが,お金を失うリスクはない。
一方Aには,財産的な利益が得られる可能性はない。Aからすれば,勝負をさせて楽しんでいるのかもしれないが,それは財産的な利益ではない。
よって3者間に相互的得失の関係がなく,賭博罪は成立しない。

ゴルフコンペでたまに検挙がされるのは,参加者全員が金を出し合ってそれを賞金にあてる,というケースである。
これがたとえば,上位者には社長から賞金が出る,というスキームならば賭博罪には該当しない。


さらに,上記の問題にこういう条件が加えられればどうなるか。
「AはBとCに相撲を取らせて勝った方に1万円をやると約束し,知人達に観戦料500円で観戦しないかと声をかけた」

この場合,Aからすると,観戦者が20人を超えれば利益が出るので,Aに財産的な利益を得られる期待が成立する。
またAの立場は,観戦者が20人以下なら赤字である。
利益が出るか赤字になるかは,やってみないとわからない。Aのしていることには,ギャンブル的要素がある。
しかし,Aには賭博罪は成立しない。
Aに成立している期待とリスクは,相撲という勝負(及びBとC)と相互的得失の関係にないからである。
ちなみに上記の問題は,スポーツイベント等のビジネスモデルを単純化したものだ。


冒頭の問題は,引っかかった受験者も相当数いたようだ。
相互的得失の要件は,案外見落としがちで難しい。

勝負事があってお金が動けば,必ず賭博罪が成立するわけではない。
ギャンブル的要素があるものの全てに賭博罪が成立するわけでもない。
さらに日本では,賭博罪が成立しても,ほとんどの場合,検挙されないww

ギャンブルは単純な遊びなのだが,賭博罪は難儀なシロモノなのである。



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2015年2月 3日 (火)

賭博事犯の捜査実務

事務所の顧問である警察OBに僕がよく聞くのは,賭博罪の捜査技術についてである。賭博罪を専門とする弁護士としては,取り締まる側の当局の考え方を知ることは必須事項だ。

捜査技術というものが内部的な側面が強いからなのかもしれないが,賭博捜査について詳述している本はほとんどない。
そんな中,「賭博事犯の捜査実務」という本は貴重な1冊だ。
今ではアマゾンでも手に入らないくらい古い本ではあるが,現役の検察官2人が賭博捜査について詳細に解説している。

この本は,賭博捜査の専門知識が細かく記してあって非常に勉強になるのだが,着目すべきは,著者の検察官が,賭博罪の違法性が「程度問題」であることをはっきり認めている点である。
たとえば,序文からこんな記述がある。


賭博は人間本能に根ざしているものである
「賭ける」こと自体を悪徳と断じ切れるものではない
なにゆえにその禁止は絶対的,一義的なものではなく,弾力的,相対的なものを含んでいるかを十分に理解しておくことは,賭博犯捜査に従事するうえで,基礎的な教養であるといえよう


賭博は絶対的な悪ではなく,賭博の禁止が「弾力的」「相対的」であることを理解するのが,賭博捜査をする者にとって基礎的な教養だ,と言っているのである。
ひらたく言えば,賭博だからといって何でも取り締まるのはダメだ,と言っているのである。

ページを進めると,こんな記述もある。


判例はかなり厳しい態度を示しており,金銭は,その額にかかわわらず「一時の娯楽に供するもの」にあたらないとしているが,これを文字どおり解釈し,現金の授受があったらなんの問題もなく犯罪が成立すると速断することのないように留意しなかればならない


現役検察官が記したこの本で口すっぱく書かれているのは,賭博については,むやみに検挙してはならないということである。
その理由については,むやみな検挙は国民からの反発を招くからだと書かれている。
たとえばこの本では,小規模賭博の検挙は現行犯検挙にとどまるべきだと書かれており,非現行の賭博犯の捜査をすべきでない理由としてこう書かれている。
過去の些細な事件で,根堀り,葉堀り調べつくすことにより,市民に,警察の市民生活に対する不当な干渉という印象を与え,民心の離反を招来する幣も考えねばならない


さらに,麻雀賭博については,よりはっきりとこう書かれている。


麻雀賭博は,いわゆる素人である一般サラリーマン,学生,さらに最近は主婦などの間にも広まっている(中略)あまりにも些細,軽微な事案まで検挙しようと試みることは,市民から無用の反発を買う結果となる


ささいな賭け麻雀を検挙すると,国民からの反感を買うのでダメだ,とはっきり書かれていることは注目に値する。


以上から考えたとき,麻雀店など賭博罪との関係を考慮すべき立場の営業者すれば,風紀を乱さないための配慮を徹底し,「ここを検挙すれば,逆に市民から反発を買うな」と当局に思わせるような体制・スキームをつくればよいということになる。



しかしそれはさておき,「程度問題」であり,「弾力的」「相対的」であることを検察官自身が認めるような刑罰規定の存在は,本来,明確性の原則からすれば許されない。
もうこのブログでも何度も書いているので,飽きられるかもしれないが,新年初の更新なので一応書いておこう。

現行賭博罪は,すみやかに改廃すべきである。



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2014年12月27日 (土)

賭博と権力

「日本権力構造の謎 上・下」を読了。

タイトル通り,日本の政治システムや権力行使のされ方を分析した本である。

ひと昔前のバブル最盛期に書かれた本で,著者はオランダ人だ。
「アジア人である日本人ごときが経済的に成功しているのは,エリートが無知な国民を支配しているからだ。欧米の国民ならばこんな支配は許さない」といったニュアンスの,欧米優越主義と思われるような記述には気分の悪くなるところがあったが,基本的には鋭い分析がされている好著だった。

なかでもうなずかされたのは,日本での権力行使は法律に従ってされているわけではない,という指摘だ。

全ての権力行使は法律に従わなければならない。権力は法律により拘束を受ける。

これが「法の支配」と呼ばれる近代民主主義法治国家の基本原則である。
その趣旨は,行政による恣意的な権力行使を,立法や司法により抑制する点にある。

日本でも形式的には「法の支配」が採られているが,日本の法律は,形がい化していたり内容が曖昧なものが多い。
結果,行政の裁量権が非常に広くなり,行政の力が強くなる。

行政というのは,省庁や警察のことだ。
日本の国民は,法律よりも,省庁や警察の顔色を気にしている。彼らに目をつけられないよう,独創的なチャレンジや活発な議論はしないよう萎縮している。
日本の権力行使は「法の支配」とはいえず,その実質は「官僚による支配」である。

上記のような著者の指摘は,本が書かれた30年前はもちろん,今の日本にも当てはまる。
形がい化していたり曖昧だったりする法律は,いまだにたくさんある。
その代表が賭博罪である。

賭博をすると犯罪なのだという。

犯罪ならば,摘発されねばならない。

ところが,誰の目にも明らかな賭博であるパチンコはいっさいの摘発を受けない。

麻雀は,ほとんどの人が金を賭けてやっている。企業のお偉いさんも学校の先生も,政治家も役人も,みんな金を賭けて麻雀をしている。
彼らも「ほぼ」100%摘発を受けない。

パチンコと麻雀が異なるのは,麻雀はごくまれにフリー雀荘が摘発を受ける,という点だ。

それは滅多にないことだが,摘発される方からすれば,晴天のへきれき以外のなにものでもない。
パチンコは捕まらないし,賭け麻雀もみんなしている。
なぜ自分だけが捕まるのか?
その理由が告げられることはない。

「賭博は犯罪です。捕まって当然です」

そう告げられるだけだ。

パチンコが捕まらないのに麻雀だけ捕まるのはおかしいじゃないか。
この主張はもっともだと思われるのだが,裁判所からも「それとこれとは別問題です」とバッサリ切られる。

しかし,それで本当にいいのか?
それは裁判所が,恣意的な行政権の行使を許すということになるのではないか?

今この瞬間も日本中で多数なされている賭博について,それが摘発される基準は法律には記載されておらず,行政(警察)の全面的な裁量に委ねられている。
日本での賭博への権力行使は,「法の支配」ではなく「行政の支配」である。


賭博罪なんて撤廃すべきだ,と言うと何をバカなことを,という人も多いのだが,この問題は,「行政のスリム化」とか「脱官僚」とか「実効ある法律」とか,長年の政治的課題とされている問題と密接にかかわっているのである。


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2014年12月12日 (金)

ソープを詐欺で訴えた男

ソープランドで、やることはやってから「いつまでもこんなところで働いていちゃダメだよ」なんて説教する。野暮な遊びの古典的代表だ。
しかし世の中には、説教を超えて「払った代金を返せ」という裁判を起こしちゃった人もいる。


(事例)


A
は、1回6万円以上する高級ソープランドのB嬢にハマって合計2000万円以上を使った。
その後Aは、Bと店に対し払った代金を返せと訴訟を起こした。
根拠としてAは

①ソープランドは違法な売春をしているので、契約は公序良俗に反し無効である
②店の代金は高額すぎるので、暴利行為に該当し公序良俗に反し無効である

③BはAに「大学院に行きたいんだけど、親が学費を出してくれないから、学費を貯めるためにソープ嬢をしている」と言っていた。Aはこの話を信じていたが、嘘であった。BはAに嘘を信じさせ、同情心に乗じて指名料を含む多額の代金をせしめた。これは詐欺に該当するので、契約は取り消せる

などの主張をした。

またAは、
Bと店だけではなく、Bへの監督義務に違反したとしてBの両親を、さらには、売春防止義務を怠ったとして市と国までも訴えた。



裁判の結果は、Aがあっさり敗訴している。

売春契約は公序良俗に違反し無効であるが、Aは自由意志で店に通ったのであるから不法原因給付(民法708条)にあたり返還請求することはできない、というのが裁判所の結論である。


「不法原因給付」というのは、不法な原因に基づきみずから金を払った人はその返還を請求することができない、という法理である。


売春は確かに悪いことで公序良俗違反であるが、自由意志で買春した人が「公序良俗違反で無効だから代金を返せ」と主張するのは認めないということで、まあ当然の話である。


ちなみに、賭け麻雀で負けた人が「賭博は無効だ」と主張して返還請求をしても、この不法原因給付の法理で、認められない。
麻雀店に対し「お前の店は違法営業をしているから払った金を返せ」と主張しても、同様に認められない。
遊ぶだけ遊んで、違法だから金を返せなどという自己中な主張は、法律はいっさい認めない。


詐欺にあったというAの主張も斥けられた。
将来の学費を貯めている、という話は非常にあいまいでこれが虚偽かどうかの判定は困難であるし、そもそも、Bの話とAの店通いの因果関係の認定も困難である。



このように店はあっさり勝訴しているのだが、店からすると、訴えられるだけで、弁護士費用や時間などの大きなコストが生じる。
Aは、1年余りの間に2000万円以上をB指名で使っている。代金が高額になったのは、Aが「同伴外出オプション」を多用して高額の特別料金を払っていたからだ。
明らかに異常な遊び方である。
店通いので最後で、AとBの関係がこじれたことは容易に推測できる。
そのとき、異常な遊び方をしていたからこそ、Aに、裁判を起こさせるような激しい怒りが生まれたのだ。


惚れた腫れたで店に通っているケースは、それだけでもトラブルにつながりやすい。
とくに過度の色恋営業には、危険がつきまとう。
最近は麻雀店にも可愛い子が増えていて、とても喜ばしいことなんだけど、客が女の子目当てで普通でない通い方をしているときは、店としては、後からトラブルにならないよう気をつけた方がいい。



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